文化が経済を育て、経済が文化を育む。文化と経済が両輪で回っている社会を目指す「株式会社 和える」
「和える」という言葉の意味をご存知でしょうか? 辞書には「魚介類・野菜などを味噌などでまぜあわせる」と書かれています。
「和える」によく似た単語で、「混ぜる」という言葉があります。辞書には、「あるものの中に別のものを加えて1つにする。また、数種のものを一緒にする。混合する」と書かれています。
2つはとても似ていますが、似て非なるものです。この2つの違いを、「株式会社和える」の代表取締役である矢島里佳さんは次のように表現されています。
矢島:「混ぜる」は、異素材同士が、お互いの形を残すことなく1つになることです。色の、白と黒を混ぜるとグレーになるのと似ています。
一方「和える」とは、異素材同士がお互いの形も残しながら、お互いの魅力を引き出し合いながら1つになることで、より魅力的な新たなものが生まれることを指します。
こちらは、色で言うと、差し色に近い感覚でしょうか。その色があることで、他の色もいきいきとしてきます。
2011年の創業以来、「株式会社和える」は、「和える」という概念や行為によって生まれる相互作用を大切にしながら、次世代に伝統をつなげる仕組みをつくるためのさまざまな事業を行ってきました。そして、創業20年を迎える2031年までに、約10の事業の立ち上げを構想しています。
創業した当初から世間の注目を集め、数多くのメディアにも登場してこられた矢島さんに、改めて「和える」が事業を通して成したい未来や、大切にしていること、今の時代、これからの時代をどのように捉えているのかなど、さまざまなお話を伺いました。
伝統と現代の感覚を和える、3つの事業
まずは「株式会社和える」の事業について触れたいと思います。
「株式会社和える」は、「日本の伝統や先人の智慧を、暮らしの中で活かしながら次世代につなぐ」をコンセプトに据え、事業を展開しています。
起業後すぐに始めたのが、赤ちゃんや子どもたちが日本の伝統に触れられる「0から6歳の伝統ブランドaeru」事業。 全国各地の伝統産業を担う職人たちと協力し、伝統と現代の感覚を和えながら、赤ちゃん・子どもたちのためのオリジナルの日用品を生み出して販売しています。
徳島県の本藍染職人が30回前後染めた『本藍染の出産祝いセット』。愛媛県の砥部焼や、徳島県の大谷焼、青森県の津軽焼、石川県の山中漆器といった器の内側に返しをつけて、子どもが使いやすくデザインした「こぼしにくい器シリーズ」。
自然の染料ラックダイを用いて京都で染めた『草木染のブランケット』や、愛媛県の名水百選「観音水」の湧き水で漉いた『和紙のボール』など、これまでありそうでなかった、「和える」哲学により生まれた商品が用意されています。
「赤ちゃんや子どもが使うのに割れ物?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、「子どもたちに、物は大切に扱わないと壊れることも知ってほしい」という思いも込められています。
また、磁器や陶器の金継ぎや、和紙の漉き直し、漆の塗り直しなど、リペアサービスも充実。矢島さんはこの「0から6歳の伝統ブランドaeru」事業への想いを次のように話します。
矢島:「aeru」では、使っているものを大人になっても使い続けられる、次の世代にも引き継いでいける、そんな一生モノを生み出しています。
「“本”当に子どもたちに送りたい日本の“物”=ホンモノ」を通じて、子どもたちの豊かな感性や価値観を育むお手伝いがしたいんです。伝統工芸の技術を美術品ではなく、日用品に活かしたのも、そういった理由からです。
そして2016年より、新たな事業もスタートさせました。
1つは、顧客の希望のものを誂える(オーダーメイド)「aeru oatsurae」事業。
これまでに訪ねた300人を超える全国の職人たちと共に、「世界に1つだけのものをつくりたい」という個人の希望から、「aeruプロデュースの自社オリジナル製品をつくりたい」といった法人の依頼まで、さまざまなニーズに応えていきます。
もう1つは、地域の伝統や魅力が詰まった部屋をプロデュースする「aeru room」事業。
「ホテルのお部屋を、地域に伝わる歴史や先人の智慧を知るきっかけとなるようしつらえ、そのお部屋に泊まると、地域の魅力に出逢って旅がより深いものになる、そんなお手伝いができたら」と矢島さんは話します。2016年9月4日に、第1号のお部屋が長崎にオープンする予定です。
「セトレグラバーズハウス長崎」にオープン予定の「aeru room」
ものを通して伝えるジャーナリストへ
矢島さんは学生の頃、ジャーナリストを目指していました。ジャーナリストになるためには「何を伝えるか」が大切だと考え、自分の興味の対象を分析。
中学高校時代に茶華道部に所属していたこともあり、「日本の職人がつくったものに触れられる空間や、物自体を愛でることが好き」という結論に至ったといいます。ただ、その際に1つの疑問が湧いてきたそうです。
矢島:物がどうやってつくられているのか、価格がどうやって決められているのかが分からなかったんです。用途は一緒なのに、1万円の茶器もあれば、100万円の茶器もある。そこに興味を持ったら、制作の現場を知らないことに気がついて、「じゃあ知っている人に会いに行こう」と思いました。
でも当時は学生ですし、お金もありませんでした。どうしようかと思って取材の企画を企業に提案してみようと思い、企画書をつくりました。
すると、見事に「JTB西日本」と「週刊朝日」に企画が採用され、矢島さんは3年間、学生をしながらフリーライターとして、全国の職人を取材して発信するという仕事を獲得。この際に、30人ほどの職人さんにインタビューを実施しました。
矢島:日本にはこんなに魅力的な技術や、かっこいい生き方があると知って、改めて日本ってすごい国だなと思ったのです。日本で生まれて、19歳になるまで育っているのに、そのことを知る機会も出会う機会もなかったことが不思議でした。
一方で、若い私が「いいな」と感じているのに、職人のみなさんは、「若い人たちは好きじゃないだろう」と思っていらっしゃって、そこに大きなズレがありました。
お互いの思いを知らないから、負の循環が始まっているのではないか。知ることさえできたら、自分と同じように「いい」と感じる人、暮らしに取り入れたいという人がいるのではないかと思ったんですね。
それから、日本の伝統産業品を知る機会に出逢える環境と、今の悪循環を好循環に変えていく仕組みが必要だと考えるようになっていきました。
そんな矢島さんが行き着いたのが、「日本の伝統や先人の智慧を、暮らしの中で活かしながら次世代につなぐ」ということでした。では、なぜ赤ちゃん・子ども向けの「0から6歳の伝統ブランドaeru」からのスタートだったのでしょうか?
矢島:日本で生まれ育ったにも関わらず、日本のことを知らない日本人が増えています。私もその一人でした。けれども、日本の伝統産業の職人さんに出逢った時に、とても魅力を感じました。
ですから、興味が無いのではなく、そもそも知らないだけだと思ったのです。そこで、生まれた時から日本の伝統に出逢える環境を創出することで、伝統がもう一度現代の感性と和えられて、循環する仕組みを生み出したいと考えました。
やりたいことをするためには起業しかなかった
こうしてやりたいことが決まった矢島さんは、どこで働けばそれができるのか調べました。しかし、できるところが見つからなかったといいます。
矢島:取材をしていく中で、日本の伝統を伝えるジャーナリストを目指すようになりました。けれども、赤ちゃんや子どもたちにどうやって伝えたら良いのだろうと考えるようになりました。
そんな中で、物を通して伝えるという方法を考えついたのです。次世代を担う、赤ちゃんや子どもたちが日常の中で、自然と日本の伝統に出逢える環境を生み出したい。
そう思い、赤ちゃん・子どもの頃から使える日用品を、伝統産業の職人さんと共につくっている会社に就職しようと考えました。けれども、それをやっている会社が見つからなかったのです。
そこで、矢島さんは「0から6歳までの伝統ブランド」をメインアイデアとして携えて、ビジネスコンテストに出場することに。そして見事グランプリを受賞し、手にした賞金を元手に起業したのです。
矢島:大学の3年間で、たくさんの職人さんと話をして、自分のやりたいこともたくさん語って、職人さんも「やるなら声をかけてね」と言ってくださいました。大学時代、ずっと行動しては考えてを繰り返していました。
ですから、じっくり考えた上で、和えるを生み出すという選択をしました。起業は1つの選択肢で、目的やゴールではありません。起業したことについて「勇気がありますね」とお声がけいただくこともあるのですが、勇気がある・ない、というよりは、「やりたいことではない仕事をする」「起業する」「働かない」という3つの選択肢がある中の1つを選んだだけなのです。
「女子大生が職人と協力してつくる赤ちゃんと子どもの日用品で起業」といった、ある種キャッチーな取り上げ方で、矢島さんは瞬く間にメディアに登場するようになりました。しかし、本人は至って冷静です。
矢島:大学で講義をさせてもらったりすると、起業を目指している学生さんたちから「有名になりたい気持ちはありますか?」と聞かれることがあって、「別にないな~」って答えると、「まだそんなに若いのに野心がないんですか?」といった反応が返ってきたことがあります。
私は「和える」が独り立ちしてくれればよくて、誰が生みの親かとか、自分が有名になることなどには興味がないのです。
でもこのままでは、20年後、今日生まれた赤ちゃんが成人する時に、職人さんがもういないという状況が、あと数年でやってきます。
伝えるスピードを加速するために、できる限り日本の伝統を次世代に伝えるための入り口を、自分が生きている間に少しでも増やしておきたいと思っています。
伝統産業を取り巻く状況
これまでさまざまな伝統産業の現場を見てきた矢島さんによると、現場はポジティブな面とネガティブな面で二極化していると感じるそうです。
例えば、原材料の国内生産は極めて厳しい状況で、ネガティブと言えます。陶器をつくるためには山から陶石を採掘しなければなりませんが、仕事の担い手のほとんどが60-70代。
陶石がとれなくなると、磁器はつくれなくなります。蚕も漆も国産のものはほぼなくなり、外国からの供給に頼っている状況です。
また、この業界では、弟子1人を育てるのに10年かかると言われています。多くの職人は高齢期を迎えていて、技術を伝承している半ばで他界されてしまったお話も聞いたことがあるそうです。
一方、20~30代の若い人が業界に流入し始め、同世代の買い手も増えてきていることを、矢島さんはチャンスだと捉えています。
矢島:若い人の関心が高まってきていて、ここ数十年の中では、一番希望が見えてきているのではないでしょうか。今がチャンスだと思うのです。ただ、業界全体は厳しい状況なので、チャンスを活かしきれるか、業界が耐えられるかが問題です。
点ではなくて、面で業界全体に良い循環を生み出していかなければなりません。
そのために、『0から6歳の伝統ブランドaeru」というブランドには全国の職人さんとの“横断性”をもたせ、「aeru」に行けば「全国の職人さんがつくった赤ちゃん・子どもの物に出逢える」という入り口を生み出しました。それは、日本のあらゆる職人さんが参加できる場所をつくりたいと思ったからなのです。
この「横断性」が、業界にはなかったのではないかと、矢島さんは言葉を続けます。
矢島:今でこそ、若い人たちが横につながって展覧会などをすることも増えてきていますが、職人さん同士のつながりもそうですし、私たちのように業界に関係のない企業が、業界の方たちとつながって、しかも横断的に何かをするということも、あまりなかったと職人さんたちから聞いています。
私たちがやっていることは、言い換えれば、土地の魅力や風土の「編集」と「発信」です。元々、伝統産業とは無縁だったからこそ、それをさせていただけているのかもしれません。
社員に求められる力と、資本主義社会の先にあるもの
そんな「株式会社和える」は現在、東京の目黒と京都の五条に直営店を展開。働くスタッフは全員が社員で、原則としてアルバイトは採用していないそうです。それはなぜなのでしょうか?
矢島:どれだけ商品が魅力的でも、お客さまとの接点が良くないものであったら、その魅力は伝わりませんし、買っていただくこともできません。
お客さまの気持ちに寄り添いながら、お客さま以上にお客様のことを考え、理解する。そして想像して、ご提案していく、全てをこなすプロフェッショナルな力が求められます。
だから、全社員が接客をできなければなりません。どんな職種の社員も、全員がお客さまに伝える語り手となれるよう、産地へ行って職人さんとも対話しますし、実際に自身も体験し、自分事として語れるように研修もしています。ですから、アルバイトでは「和える」の仕事はできないのです。
東京都目黒区にある「aeru meguro」ギフトコンシェルジュの伊東さん
京都府京都市下京区にある「aeru gojo」ホストマザー(店長)の田房さん
さらに矢島さんは、スタッフに「お客様の人生を変える出逢い」になることを目指して欲しいと話しているそうです。
矢島:人の価値観を変えるのはとても難しいことです。でも、お客さまに商品の魅力がきちんと伝わったとき、その瞬間、価値観の変容が起きます。お店に来る前と来た後で、その人の暮らし方や生き方がほんの少しでも変わるかもしれません。それだけ重大な役割だと捉えています。
私たちの仕事は、世界を変える仕事です。資本主義社会の次に、どんな社会がやってくるのか。これからは、心の豊かさも追い求めることが真の豊かさであるということに、人々が気が付き始めている、そんな時期のように感じています。
ここから話は、資本主義社会後の世界を模索する必要性に及んでいきます。
矢島:多分、私が死ぬまでの間に資本主義は終わらないと思いますが、いずれきっと壊れるのだと思います。資本主義が悪いと言いたいわけではありません。
資本主義というシステムを考えた人たちも、ずっと続くシステムでないことは、当時からわかっていたと言われています。そのことを私たちは知っているのに、壊れるという現実から目を背け続けてきました。そして、背け続けるのが難しくなってきて、みんなもやもやしているのではないでしょうか。
今の経済を回していくために、どんどんつくってどんどん捨てる。この仕組みでは、地球が何個あっても足りません。正解はないけれど、これからの社会を私たちがどう生きていけば良いのか、社会的な実験を試みて、新たな循環の仕組みやシステムのプロトタイプを、たくさん生み出していくことが必要だと思っています。
子どもたちにどのような日本を残したいか、暮らしている時も、働いている時も、念頭に置いて行動することが大事だと矢島さんは考えています。私たちの先人は、100年後のことを思って山に木を植えてくれていました。でも私たちは、100年後のことを思って生きられているでしょうか?
「100年後を思うためには、1000年先に思いをはせるくらいが丁度いい」と矢島さんは笑顔で話します。そんな彼女に、生きている間に成したいことは何か尋ねると、次のような答えが返ってきました。
矢島:文化が経済を育て、経済が文化を育むのです。ですから、文化と経済が両輪で回っている状態を生み出すことが重要だと考えています。それができれば、今よりはみんな自然体で生きられるようになるのではないでしょうか。生きているうちにそこまでは到達したいですね。
そういう状態にして、次世代に引き継ぐのが、この過渡期の時代に生まれてきた私たちの役目なのではないかなと思います。本当に、明治維新くらいの過渡期だと思っていますよ(笑)。
そして、矢島さんは「最後に」と一言付け加えて、新規事業の一環として他社のリブランディング「aeru re-branding」事業に取り組む理由について話してくれました。
矢島:「和える」のリブランディングは、事業の本質をもう一度探しだし、磨き上げることで、本質に素直に向き合える状態を生み出して、会社やブランドが長く歩み続けられるようにするお手伝いをさせていただく事業です。
なぜお引き受けさせていただくようになったかと言うと、とても良い取り組みをされている、伝統ある会社やブランドの真の魅力が、時代の変容と共に、世の中に伝わりづらい状態になってしまっていることが、本当にもったいないと感じているからです。
まだまだ、私たち自身もどこまで力があるかわからないのですが、この5年間、ものづくりもブランドの立ち上げも行ってきて、見えてきたことが少なからずあります。そんな中、マコト眼鏡さんにお声がけいただき、この事業が本格的にスタートいたしました。
培ったものをオープンにして、次世代に伝統をつなぐ仲間を増やしていきたいのです。情報を止めるのではなく、オープンにすればするほど、伝統を次世代につなげる可能性は広がっていきます。次に考えていることも聞かれればお話します。秘密にする必要はないし、していても広がりませんからね。
矢島さんが「和える」を通じて成そうとしていること。その本質は、物や言葉、さまざまな方法で人の価値観により良い変容を起こすという、小さな革命なのだと思いました。
矢島さんの構想通りにいけば、約10の事業が立ち上がっているはずの2031年、その時、和えるが社会にどのような変容をもたらしているのか、今後がさらに楽しみです。
和えるのホームページには、オンラインショップはもちろん、「aeru oatsurae」や「aeru room」といったこれからの取り組みについても書かれています。また、「和える」で働く仲間(社員)も随時募集されていますので、ご興味がある方はぜひ覗いてみてください。
インタビュアー:赤司 研介(京都市ソーシャルイノベーション研究所 エディター/ライター)
写真提供:株式会社和える
◼︎企業情報
京都直営店『aeru gojo』
〒600-8427 京都市下京区松原通室町東入玉津島町298
TEL|075-371-3905
URL|https://a-eru.co.jp/gojo
矢島里佳(やじまりか)
1988年7月24日 東京都生まれ。 職人と伝統の魅力に惹かれ、19歳の頃から全国を回り始め、大学時代に日本の伝統文化・産業の情報発信の仕事を始める。「日本の伝統を次世代につなぎたい」という想いから、大学4年時である2011年3月、株式会社和えるを創業、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2012年3月、幼少期から職人の手仕事に触れられる環境を創出すべく、赤ちゃん・子どもたちのための日用品を、日本全国の職人と共につくる“0から6歳の伝統ブランドaeru”を立ち上げる。日本の伝統や先人の智慧を、暮らしの中で活かしながら次世代につなぐために様々な事業を展開。