不器用なまま真っ直ぐに。「できる」ではなく「やる」と決めた日から|新コーディネーター 田中成美インタビュー【後編】

前編を読む

「仕事がないなら、自分でつくります」

―新卒でナオミに入って、なるさんはどんなお仕事をされていたんですか?

最初に言われたのが、「雇ってもいいけど、何の仕事ができるかなあ」と。

前職は中途採用が100%の会社。機械メーカーという専門性が高い業界で、インターンの間に営業や事務など、色々な部署を回ったのですが、全然うまくいかなかったんです。

そこで、「自分で仕事を作ります」と宣言して、会社の課題を探るために社長に何度もヒアリングをさせてもらいました。すると、「今の営業とは違うやり方でお客さんにアプローチできないか」という話が出てきたんです。長年飛び込み営業が中心だったので、Webを活用した営業の効率化を提案しました。

「できるの?」
「やります」
「わかった。3年あげるからやってみ」

そうしてWebマーケティングの部署を一人で立ち上げて、猛勉強しました。会社としても期待してくれていて、研修やテキストの購入など学びには惜しまず投資してくれました。北海道から沖縄まで、営業にも同行して何度もお客様の声を聞きに行きましたね。土日もずっと勉強していました。本当に一から手探りで、前しか見ていなかった。

―結果が出るまでやりぬく原動力は、どこにあったんですか。

前職に入社するときに社長が「私は将来、学校をつくりたい。社会に還元できる企業になるにはちゃんと利益を出すことが大事」とおっしゃったんです。この発想が私はすごく好きで。

「年商を今の1.5倍にしたい。それだけ稼げる企業になると、ある程度社長がいなくても回る状態になるし、社会貢献に予算が使えるようになる」という目標を掲げてくださったので、そのためにざっくりとした計画を立てて、後はとにかくやる。経営層と二人三脚で、トライアンドエラーを繰り返しながらやりました。

前職には約6年勤めました。結果が出だしたのは2年たった頃。4年目で売上目標も達成することができました。独立した今も、副業という形で関わり続けています。

父の死が、自分のやるべきことを考えるきっかけになった

―現在は独立してお仕事をされていますが、そこにはどんな思いがあったのでしょうか。

前職で社長と約束していた目標を達成して、そろそろ自分も仕事を広げていきたいと思い始めた矢先、父が突然亡くなったんです。

こんな唐突に人の一生が終わってしまうことがあるんだ、と衝撃を受けました。「また明日」という言葉を言えることの尊さをかみしめ、自分の命をどう使うかを考えなければと思うようになりました。

そこで社長に、いずれ独立したいと思っていることや、培わせてもらったノウハウやスキルを他の中小企業にも伝えたいと思っていることを話し、まずは副業から色々な企業のお手伝いを始めることにしました。その後、2023年にフリーランスとして働き始め、2025年に法人化しました。

―なるさんのキャリアのお話を聞いていると、「個」としての力強さを感じます。

私は昔から集団行動は苦手で、一人で物事を進めるのが好きでした。前職から続けているWebマーケターとしてのお仕事も、個として動く場面も多いです。でもだからこそ、個人でできることには限りがあるということを知っています。多様な人材が集まることで生まれる可能性の広がりを見たいと思うんです。

その点SILKのコーディネーターは6人が自立しているのがすごくいいなと思っています。それぞれに自分の得意領域があって、やるときはみんなでやるけど、一人ひとりが自由に動く場面も多い、というスタイルがさっぱりしていてやりやすいと感じます。

自分の人生を生きることができる社会へ

ーなるさんがコーディネーターの活動を通じてやりたいことを教えてください。

私がやりたいのは、「頑張りたい」という思いがあるにもかかわらずその環境がない人へ、機会や選択肢を伝えられるようになることです。

私自身、頑張りたい気持ちを外的要因によって我慢してきた過去がある一方で、前職時に学びに投資してもらって成長できた経験もしました。自分が培わせてもらった経験、知識を生かして、ほかの誰かの可能性をつなぐ「ハブ」の役割を担っていきたいと思っています。

現在は具体的に、三つの柱を立てています。

一つめは、ずっと関わってきたものづくり企業の新しい挑戦を応援すること。縁の下の力持ちのように、日本を支えているものづくり企業が、世の中に知られず潰れたり衰退してしまったりするのはもったいない。コラボレーションを通じて企業同士がお互いの技術やノウハウを活かし合うサポートをしたいと思っています。

二つめは、「これからの1000年を紡ぐ企業認定」の認定企業の社員どうしの学び合いの場をつくること。私が前職で成長することができたのは、学びに投資をしてもらったことが大きいと思っています。一人で学ぶよりもみんなで学びをシェアすることで、個々の負担は減るし、アウトプットもしやすいと思うんです。

そして三つめは、京都らしい採用の在り方を考えていくこと。私は中小企業に新卒で入って、良いこともたくさんありましたが、教育環境が整っていない状況で新卒が中小企業に入ることは、想像以上に大変なことでもありました。既存の正社員やアルバイト雇用といった枠組みをこえ、複業や兼業も取り入れながら、京都での「働く」をもっと柔軟にしていきたい。京都にいる人同士も、首都圏や他の地域が拠点の人とも、関わり方を広げていけたらと構想しています。

―なるさんは京都って、どんなまちだと思いますか?

京都は変化が無いように見えて、変化をさせるのが得意。長く続いているのは、小さな変化を積み重ねているからではないでしょうか。

この「続ける」というのが京都らしいところだと思います。京都の人は多くの提案に対して、目先の利益よりも「続くかどうか」を大事にされていると感じます。続けるために必要と分かれば柔軟に変化できるところに、京都らしいしなやかさを感じます。

ーなるさんの言葉って、シンプルで力強いですよね。多くの人が相手を傷つけないように、自分も傷つかないようにと回り道するところを、さらっと本質を突いて言葉にしてくださる。だからこそ、心の奥まで届くんだと思うんです。

ずっと大事にしていたいことがあって。それは「純度高く生きる」ということ。

大人になったら「我慢したほうが上手くいくから、ここは言わないでおこう」と本音を出さないことも増えます。もちろん仕事をする上でそういう面も大事なのは分かるんですが、配慮しながらも素直な気持ちを言える社会であってほしいと思うんです。我慢ばかりしていると感覚が鈍ってくるし、当たり障りのないことを言う関係性には違和感がある。そんな大人ばかりでは何が大事か分からなくなってしまうという危機感があります。

だから私は、相手に敬意を持ったうえで、伝えたほうがいいなと思うことは正直に言います。「わかりやすい」って言われることも「厳しい」と言われることもあるけれど、それをいいやんと言ってくれる人が京都には多い気がします。SILKのメンバーをはじめ、良いと言ってもらえることが増えて、前よりは生きやすくなりましたね。

ー最後に、なるさんの癒しって?

みんなでご飯を食べること。美味しいを共有できる関係性を大事にしたいです。

取材後は近くの中華屋さんに餃子定食を食べに行きました!

〈編集後記〉

はじめまして!東京の大学を1年間休学して京都にUターン移住してきた大学生、河南碧衣です。ひょんなことから機会をいただき、今回新コーディネーター・田中成美さんにインタビューさせていただきました。
 

「初めての取材、うまくいくだろうか…」と大緊張で臨んだのですが、「なんでも聞いて!」と言ってくださり、そしてその言葉の通りなんでも答えていただき、恐る恐るだったインタビューも気づけば前編・後編と分かれる長編になっていました。
 

なるさんは第一印象から「強い」とか「ストイック」という印象をもたれやすい方だと思います。複雑に見える物事をシンプルな言葉で解いて、打てる手を出していく。軌道修正しながらも焦点はブラさず、とにかくやる。ちょっとやそっとのことでは揺らがない。たくさん学んで磨かれた方だというのが端々から伝わって、やっぱりすごくかっこいいと思いました。
 

そんななるさんとお話をして、私がいちばん素敵だと思ったのは、その原動力にある願いでした。「誰もが自分の人生を生きられる社会にしたい」。モノでも仕組みでもなく、それをつくり動かす「人」をなによりも大切に見ておられるんです。人の可能性がひらく大きなきっかけは、ひとつの「出会い」。なるさん自身が出会いに活かされたように、なるさんがつなぐ出会いやそこから生まれる可能性から、いったいどんな景色が見られるのか。ぜひこのインタビューを読んでくださったあなたとも、一緒に見て、描いていけたらと思います。

河南 碧衣

河南 碧衣

TRAVERSE PROJECT 代表
2025年4月よりお茶の水女子大学3年生を休学し、10年暮らした京都・宇治に1年間Uターン移住。言語による表現のうち「手紙」をメディアとして役立てることの可能性を提案するプロジェクトを立ち上げ、京都をフィールドに実践中。