地域・暮らし・経済・芸術がシームレスにつながる社会を目指す「アーツシード京都」

「京都に100年続く小劇場を」という呼びかけで始まった、東九条での劇場建設プロジェクト。たくさんの人の応援を受け、2019年6月に「THEATRE E9 KYOTO」が開館しました。芸術作品だけでなく「地域をつくる」という言葉を掲げ、まちの中での劇場のあり方を模索しながら活動する一般社団法人アーツシード京都の代表のあごう さとしさんに、お話を伺いました。

全てのビジネスパーソンを芸術家に

── 「これからの1000年を紡ぐ企業認定」第6回認定授与式から早くも約半年が経過しました。現在、新たに取り組まれていることなどあればお聞かせいただきたいです。

「全てのビジネスパーソンを芸術家にしたい」と、最近考えているんです。この建物は劇場「THEATRE E9 KYOTO」とコワーキングオフィス「Collabo Earth E9」が一体になっているので、コワーキングの利用者さんとも日常的に交流させていただいて、一緒に演劇を作るようにもなってきて。こういう場所は、国内では他に例がないんじゃないかな。周辺の掃除も一緒にするし、ビジネス上での連携も出てきました。

── ビジネス界ではここ数年、「アート思考」という言葉をよく耳にするようになりました。あごうさんから見ても、ビジネスと芸術の距離が近づいている感覚をお持ちでしょうか?

アート思考の正確な定義はわかりませんが、それまで言われていた「デザイン思考」との大きな違いは、発注者がいないことだと考えています。これが必要だという確証はないけれど、やりたいからやる。おもしろいからやる。体系化する前の、まだ議論されていないものがそこに立ち上がってくる。そういう発想が求められているから、アート思考が必要とされるようになったんじゃないでしょうか。分野をリードする新しい価値観の提案は、課題解決のための論理的思考からは生まれないので。

── 劇場内外での活動において、アーツシード京都さんは様々なかたちで人の発想を引き出す働きかけをされているように感じます。

演出家は俳優さんに表現を託し、その方の演技が作品の中で最大化することを考えるので、この仕事にはもともとそういった性質があるのかもしれません。現代芸術は「同時代性」というものを常に意識しています。生活の中の小さな出来事や悩みに、その時代のリアルな姿が表れます。戦争の時代、高度成長の時代、その後に続く「失われた30年」と呼ばれる時代。そこに生きる私たち一人ひとりが日々感じるリアルが、時代を形作っている。ジェンダーや環境破壊のような大きな話から、両親と同居するか、子どもの保育園をどうするか、という日常の話まで、色んな現代のリアルがあるわけです。そこにどう向き合って、何をあぶり出していくのか。それが現代芸術の一つの作法ですね。

コワーキングの利用者であるアナウンサーの能政 夕介さんと制作した一人芝居『フリー/アナウンサー』は、劇評での評価が高く、なんと札幌での再演が決まりました。ビジネスパーソンが舞台芸術家としての評価を得るという、具体的な成果が出てきています。

芸術のような「よくわからないもの」に対峙することから、イノベーションが生まれる

── 不確実な社会の中で、あらゆる局面で今までの方法論が通用しなくなっています。アートが持つ「問いを投げかける力」がますます重要になってくると思うのですが、どうすればそういった考え方が社会に広がっていくのでしょうか?

わけのわからないものを嫌がる空気が、社会全体を覆っている感じがしませんか。皆がわかりやすいものばかり要求している。それでは、本質的な意義のあるものは出てきにくいと思います。基礎研究を軽視する風土もその現れですよね、そんな社会にイノベーションなんて生まれない。

変なもの、直ちには理解できないものに、楽しみながら向き合える心を大事にしてほしいです。なるべく早く、教育の段階から。学校という制度の中ではなかなか難しいだろうとは思いますが。制度化が進むと、運営の安全性は保たれる一方で、そこに従えない人を排除する動きがどうしても出てきます。でも、皆と違うやり方、ルールから外れたやり方にこそ、イノベーションの可能性があるわけです。

まずは大人たちが、わからないものに向き合うことの必要性を感じ取る必要があります。一つの例として、嫌な上司との付き合い方もそうです。何か言われた時に、「こういう返し方をしたらどうなるかな?」っておもしろがる心があるといいですよね。対応の仕方を変えれば、相手が変容する可能性もありますから。

── 確かに、わからないこと、説明できないことがあってはいけないという空気は、新しい発想に蓋をしてしまいますよね。

芸術なんて、大人にとってはだいたいわけのわからないものじゃないですか。でも、子どもたちはビビッドに反応してくれます。大人がいぶかしげな顔をしている隣で、子どもが大笑いしてる。子どもは理解できるかどうかで判断しないので、説明がいらないんです。

劇場と社会との関係性を考えた時に、特に大事なのは働く大人と子どもたちとの関わりだと思っているので、芸術に触れてもらえる場を量・質ともに増やしていきたいです。芸術に関わることが幸福につながるという実感を、色々な角度から持っていただけたらと思います。充足感がある、あるいは、経済的にプラスの影響がある、自分の存在を確立することができるとか。

人間にとって、何かを作ることは喜びにつながりやすいはずなんです。仕事でも何でも、人から言われてやっているという意識では良い結果にならないし、幸せにもなれません。誰かの真似でもいいんですよ、真似をしようという意志に主体性があれば。大事なのは、その結果として起きたことに対してどう向き合うか。喜びも苦しみも自分で引き受ける姿勢がないと、何をやるにしても難しいんじゃないでしょうか。

── ソーシャル・イノベーションに関わる研究者や教育者の方にお話を聞くと、今のお話に似た考えを耳にすることが多いです。現代社会に足りていないものを皆さんが感じ取って、各々の方法で取り組もうとしておられるんですね。

劇場は、まちにとってどういう存在なのか

── この地域で活動を続けてこられて、一人ひとりの考え方や姿勢の変化を感じておられますか?

私が初めて東九条を訪れたのは、2016年でした。そこから5年間で、まちの空気はずいぶん変わったと思います。最初の頃はね、もう厳しい局面ばかりでしたよ。ここでは話せないような出来事も少なからず経験しましたし、それまでなかったものを新たに作るわけですから、乗り越えるべき問題は山のようにありました。相談事があるたびに、まちに住む方々とのミーティングを開催するんです。もちろんすぐに良い返事がもらえるわけもなく、時にはお叱りの言葉もいただきながら、少しずつ、本当に少しずつご理解いただけるようになって。

大きな転機になったのが、2017年の夏祭りでした。地域の方から「何か出し物できますか?」と声をかけていただいて。それはもう、悩みました。まだ開館の目処も立っていない時期で、近所の方から「あんたらどこの不動産や?」と言われるような状況だったので。中途半端なことをすれば、えらいことになるぞと。悩んだ末、館長の茂山あきらさんに頭を下げて『柿山伏』という狂言をやってもらったんです。

当日は、舞台も何もない吹きさらしの場所で、屋台に囲まれてアーツシード京都の出し物が始まりました。そしたら、おっちゃんやおばちゃん、子どもたちも見てくれて、大声で笑ってくれて。「おもしろかった」「ありがとう」と声をかけてもらいました。その時、初めて「劇場がまちに来るってこういうことなんやな」と言っていただいて。設えも何もない中で役者が身一つで客を笑わせるその空間に、芸能の原風景を見た気がしました。

── 地域の方と関わりながら活動しようという思いは、劇場の運営に関わられるようになった当初からお持ちだったのですか?

2014年から2015年にかけて、文化庁の研修制度を利用してパリの演劇センターに行かせてもらいました。ジュヌビリエ国立演劇センターでは、世界へ向けて作品を創造するというミッションのもと、日本では考えられないほど豊かな練習環境が用意されていることを目の当たりにしました。

一方、フォンテヌブローという隣町の小さな劇場は、まちのコミュニティの基盤になっていました。地域住民の約8割が劇場の会員になっていて、毎年開催されるパーティーでは、まちの人たちがワインを飲みながら交流し、劇場のディレクターと市長のスピーチを聞くんです。すごい密接ですよね、劇場とまちが。

── そうですね、日本とはずいぶん状況が違います。

ヨーロッパでは、劇場は市民のために公的資金で運営されています。その背景には、自国の風土・文化が侵略されてきた歴史があるのだと思います。他国の文化や美意識を強要される辛さを知っているから、言葉を守ること、そのために文学や演劇を守ることの重要性が浸透している。

美しさの基準を決める権利があると考えた時に、ビジネスという視点から見てもその力は強烈じゃないでしょうか。たとえば、最近ではSDGsが世界的なコンセンサスを得た価値ですよね。そういう価値の源泉を握る、あるいはそれに近いところにいるかどうかで、経営にも差が出てくる。そういうことを市民が知っているから、ヨーロッパでは公的資金が、アメリカでは多額の寄付金が芸術を支えています。形は違えど、いずれも市民の意志が反映された結果なんです。重要なのは、一人ひとりが何を大事に思って、どういう方向に進みたいと思っているのか。さらにいえば、実際にとっている行動が、進みたい方向と重なっているのかどうかです。

「何か助けになりたい」と、まちの人が劇場でキムチを売ってくれた

── SILKの一員としても、また一人の京都市民としても、考えるべきことがたくさんありますね。「THEATRE E9 KYOTO」はこの2年間、着実に地域コミュニティの基盤を育んでこられたのではないかと思います。

数としてはまだ少ないですが、現象として、確かに今までにはなかったことが起こっています。アート活動をされる地域の方も出てきました。「東九条マダン」という韓国・朝鮮文化と日本の文化が混ざり合ったお祭りのリーダーをされていた方が、大学生と一緒にアートプロジェクトを立ち上げて。彼女たちの活動はドキュメンタリー映画にもなっています。

最近驚いたのは、高齢者福祉施設で展覧会を行ったアーティストが、そのまま施設の非常勤の職員になったことです。利用者さんとの関係性の中で展示作品を作るなど、働きながらアート活動を継続されています。助成金事業として生まれた芸術との関係性が、事業が終わった後も継続することは非常に珍しいんです。これは、小さくとも画期的な事例です。数件ですが、コワーキングに入居するために東九条に移り住んできた子育て世帯もいますよ。

今月の私の公演では、近くの韓国料理屋のお母さんがチヂミやキムチを売りに来てくれました。コロナ禍の自粛期間はお店にも行けず、先月久しぶりにお邪魔した時に声をかけてもらって。「あんたらコロナで大変やったやろ、何か助けになりたいから。」と、2日間の売上を全て寄付してくれたんです。おかげで、キムチを買うために初めて劇場に足を運んでくれた近所の人がいたり、おばあちゃんたちが来たついでにその日上演していた爆音のオペラを観てくれたり。その日のロビーはすごかったですよ。舞台芸術好きのお客さんと地域のおばあちゃんたちがごっちゃになって。そうそう、この感じ!と胸が熱くなりました。こういう風景が、もっと当たり前になっていってほしいですね。

── まちの人が劇場を応援する気持ちから、また新しい関係性が広がっていって……すごく素敵です。

まちの空気が変わってきたという話をしましたが、東九条には私たちがここに来るずっと前から続いてきたこの土地の文脈があります。様々な苦難を乗り越え、厳しい変化の波を経験してきたまちです。それゆえの力強さがあるから、私たちのようなよくわからない存在が入ってきても、おもしろがってくれる。もともとイノベーティブなまちの懐に入れていただいているという方が正しいですね。

ここに住む人たちの生活の中の小さな出来事が、私たちの時代のリアルを立ち上げていきます。暮らしの呼吸の中で、新しい表現、新しいビジネスが生まれていく。「THEATRE E9 KYOTO」は100年続く小劇場を目指しているので、次の世代にもつなげていく必要があります。単にお芝居を作れたらいいという話ではありません。まち全体としても、人も増えてきて、まだ使われていない空間もあるし、これからどんな現象が起こっていくのか楽しみです。

取材・文:木村 響子 / 柴田 明(SILK)

■企業情報
一般社団法人アーツシード京都
〒601-8013 京都市南区東九条南河原町9-1
電話:075-661-2515
URL|https://askyoto.or.jp/

あごう さとし
劇作家・演出家・THEATRE E9 KYOTO芸術監督 (一社)アーツシード京都代表理事

「演劇の複製性」「純粋言語」を主題に、有人・無人の演劇作品を制作する。2014−2015年、文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として、3ヶ月間、パリのジュヌヴィリエ国立演劇センターにおいて、演出・芸術監督研修を受ける。2014年9月-2017年8月アトリエ劇研ディレクター。2017年1月、(一社)アーツシード京都を大蔵狂言方茂山あきら、美術作家やなぎみわらと立ち上げ、2019年6月にTHEATRE E9 KYOTOを設立・運営する。
第39回(令和2年度)京都府文化賞奨励賞受賞
第6回これからの1000年を紡ぐ企業認定
同志社女子大学嘱託講師 京都芸術大学舞台芸術研究センター主任研究員 大阪電気通信大学非常勤講師 京都市立大学芸術資源研究センター客員研究員