100年前の京町家を100年後に伝える仕事を。大工の技で京都の町並みを守る「株式会社アラキ工務店」
紅殻格子(べんがらごうし)に虫籠窓(むしこまど)、軒下には竹の犬矢来(いぬやらい)。瓦屋根の軒をそろえる京町家が建ち並ぶ、水を打った通り。この美しい町並みをひと目見るために、世界中の人たちが京都を訪れています。
京町家とは、1950年(昭和25年)以前に京都市内に建てられた木造家屋のこと。
2017年(平成29年)5 月に京都市都市計画局が発表した京町家調査によると、現在市内に残る町家は約40,100軒。とりわけ、空き家の老朽化は深刻で、約6割が何らかの修理を必要としています。
2010年の前回調査以来、7年間で5,600軒以上もの町家が取り壊される一方で、空き家を所有する人の約4割は「出来る限り残したい」という意向を持っていることも明らかになりました。
「残したい、でもどうすればいいかわからない」
そんな京町家オーナーの声に応えて、一軒また一軒と京町家を再生させる仕事に取り組んでいるのが、今回ご紹介する「株式会社アラキ工務店(以下、アラキ工務店)」です。
代表取締役社長の荒木勇さんは三代目。東京での会社員生活の後、家業を継ぐために京都にUターン。社内に抱える大工職人を生かすことを第一義として、京町家の改修に特化した経営へと舵を切りました。「お施っさん(施主)」に絶大な信頼を得ている「アラキ工務店」の仕事について、インタビューで詳しく聞かせていただきました。
京町家と大工さんの関係を結びなおす
「アラキ工務店」は大正14年、御所南の竹間学区で創業しました。
昔の“町場大工”は「自転車で行ける範囲でだけ仕事をする」のが常識。町内の家をずっとお世話するためには、何かあったらいつでも飛んで行ける距離に住んでいる必要があったからです。夏場の衛生掃除や年末の大掃除には、「お施っさん」の家でお手伝い。
畳を上げたり、火袋(ひぶくろ)(吹き抜けの上部空間)の油拭きなどをしながら、家の傷んでいるところをいちはやく見つけて直すことを続けていたのです。
掃除だけではありません。大工は、出入りする家の冠婚葬祭などの行事も差配。住まう人たちとの深い結びつきのなかで仕事をしてきました。
しかし、戦後の時代変化のなかで、“家”が家族のプライベート空間に変質すると、「お施っさん」と大工の関係は疎遠に……。工務店の仕事は「家の新築や増改築のときだけ」となってしまいました。
さらに、高度経済成長期以降は、大手ハウスメーカーさんによる「ツーバイフォー工法」「プレハブ工法」の住宅がシェアを伸ばし、大工さんがノミやカンナをふるって活躍する場も失われていったのです。
荒木さんが家業を継いだ2001年、「アラキ工務店」の大工職人もまた木を刻む機会が減っていました。せっかく腕のいい大工がいるのに、その技術を発揮する場がないことに、荒木さんは危機感を覚えました。
荒木さん: 何かに特化して強みを出さなければと周りを見渡すと、うちのように大工さんをたくさん抱えている会社はあんまりないんですよ。大工さんの技術が発揮できる仕事は何かと考え、古い木造住宅の改修に目を向けたんです。
折しも2000年頃は、ようやく京町家の保存・再生の動きが注目されはじめていました。
2002年には、市民と専門家、職人による「京町家再生研究会」が、活動10年目にしてNPO法人化。その関連団体である「京町家作事組」も、「アラキ工務店」会長・荒木正亘さんは副理事に就任して5年を経過し、軌道に乗ってきた頃です。
「京町家作事組」は、伝統工法による町家再生技術を継承する職人集団で、設計士・工務店だけでなく、瓦屋・左官屋といった職方も参加し、京町家を改修するためのノウハウを積み上げていきました。改修等、物件を手がけながら、それらを生きた教材とし、伝統工法による町家再生の技術を継承するのが狙いでした。
これと並行し、「アラキ工務店」では大工技術を発揮できる仕事を模索するなかで、経営革新支援法の適用を受け、「古材を使ったリユース住宅」に特化するようになります。新建材が主流の現状では、誰でも簡単に組み立てができるため、腕のいい大工さんはいりません。「それならば」と、他社があまり取り扱わない戦前の住宅改修に目を向けたのです。
そうした改修案件が増えてくると、新規案件はほとんどが「お施っさん」からのご紹介に。改修された京町家を見て「こんな風にできるなら、我が家も改修したい」と希望される方たちからの依頼です。
荒木さん: 「なんとか、この思い出の家を残せないか」と人づてに聞いて、うちに来られる方が多いです。傾いていた家を元通りに直し、住みやすく改修するとものすごく喜ばれます。おばあちゃんは泣いちゃう。その姿を見て、大工さんは感動しちゃう。そういう仕事をできることが、工務店としてはうれしいですよね。
お客さんが喜ぶ仕事をすると、自然と大工さんとのおつきあいも深くなります。また、改修された家に住まうと「この家を次の代に残していきたい」という気持ちも芽生えます。家に関わる人の喜びの循環が、その家の寿命を伸ばしていくのです。
こうして、京町家とそこに住まう人と大工さんのつながりを結びなおすことから、「アラキ工務店」の仕事は広がっていきました。
構造を見直し、木の見える仕事をする
「アラキ工務店」のコンセプトは「孫の代まで住み続けられる家」。
木造住宅の法定耐用年数は22年とされていますが、実際のところ100年を越える町家や社寺はたくさん残っています。適切な手入れを続ければ、木造住宅も長く住み続けることができるのです。「アラキ工務店」による京町家改修の特徴をいくつかご紹介しましょう。
◉木の見える家を提供する
手入れの出来る家は、構造が見える真壁の家。木が見えていれば、結露や蟻害、腐蝕などを早期に発見して手を打つことができるからです。しかし、木が見えるということは、大工の仕事が見えるということ。腕のいい大工がいる工務店にしかできない仕事です。
◉見た目だけでなく構造から直す
外観だけをつくろう化粧工事だけで改修する工務店もありますが、「アラキ工務店」では家の構造から見直していきます。
新建材でつぎはぎ改修された部分はすべて撤去。傾いた柱はまっすぐ、下がった壁を元通りに。傷んだ柱や梁は根継や入れ替えをして、躯体を元通りに戻していきます。きちんと直せば、断熱や気密性の水準も上がり、耐震の面でも安心できます。
◉生活に合わせて町家を手入れ
江戸時代〜昭和初期までに建てられた京町家は、暮らしの智恵が蓄積されています。「アラキ工務店」では、町家のすぐれたところを生かしながら、現代の暮らしに合わせた改修方法をアドバイス。断熱や採光、バリアフリーなどの工事も実施して、明るく、ストーブひとつで充分に温かい部屋をつくっています。
荒木さん: 「町家は古くて寒くてあぶない」と思う人が多いのは、長いこと手入れをしていない家を見たからです。たしかに、傷んでいる町家は雨漏りもするし、建具も動かないし、天井裏にはネズミも走ります。とことん傷んだ状態を見て「住みにくい」と思っちゃう。でも、ちゃんと手入れをすれば住みやすくできますよ。
小手先ではなく、根本的な改修をするから「100年前の家を100年先まで引き継ぐ」ということが可能になるのです。
家をつくる仕事は大工さんの“作品”
「スマートハウス」「太陽光発電」などのスペックをうたったり、坪単価で売られる分譲住宅……今の世の中では、住宅は“商品”として売り買いされています。一方、「アラキ工務店」が目指すのは「大工さんの作品」としての家づくり。「お施っさん」と工務店と大工さんが一緒に考えて、「お施っさん」のために心血注いでつくりあげる家です。
荒木さん: 「この現場はこの棟梁に任せています。仕上げはこの人が全部責任を持ちます」とお伝えします。すると、仕事が終わった時に「お施っさん」は「アラキ工務店に頼んで良かった」ではなくて、「棟梁さんに全部やってもらった。次もこの棟梁さんにお願いしたい」となる。それが“作品”なわけです。
大工さんに“作品”と呼べるような家をつくってもらうには、「お施っさんの理解」が必要だと荒木さんは言います。充分な日数をかけて、大工さんがプライドをかけて仕事できるようにするためには、もちろん予算がかかります。しかし、100年という時間軸で考えれば、その工費は決して高いとは言えません。
荒木さん: きれいごと、ボランティアでは生活はできません。工期がなくて、安い単価で仕上げるような仕事ばかりしていると、大工さんはほんまに一生貧乏なんですね。でも、今の世の中で暮らしていけるだけの日当を払えるようにしたいですし、そうでないと誰も大工なんかやりたがりません。
そのためには手間に見合う良い仕事をするのはもちろんのこと、「お施っさん」に理解してもらえるように、工務店も「なぜこの見積もりになるのか」をきちんと説明すべきだと考えています。
荒木さんは「安い坪単価で家を建てて渡して終わり、というのでは工務店には未来がない」と言います。大工さんが“作品”と呼べるだけの仕事をすれば、必ず「お施っさん」は満足し、信用してくれます。そして、その信用は必ずや次の仕事を連れてきてくれるのです。
だからこそ、「アラキ工務店」では社内に20人の大工を抱えつつ、若手大工の育成にも力を入れています。日本の大工人口は約40万人、うち28%は60歳以上(2010年、国勢調査)と高齢化が進んでいます。一方で、若年層の離職率は高く、若手大工人口は減少の一途をたどっています。
荒木さん: 今の新築住宅って大工さんはいらないんです。大手ハウスメーカーさんの家には、ノミ・カンナはいらないので、大工さんはただの“組み立て屋”になっちゃう。毎日同じような家を、顔の見えないお客さんのためにつくるのは面白くないので、大工のなり手がありません。
20年後には、大工さんの数が今の半分以下になると言われるほど危機的なんです。職人さんになりたい子はいるけど、大工仕事をできる工務店は残念ながらすごく少ない。
今、「アラキ工務店」では、3人の見習い大工さんが修行中です。目標は「5年で家一軒を建てられる一人前になること」。京町家の未来は彼らの腕にもかかっています。
子どもが「将来ここに住みたい」と言う家を
「アラキ工務店」の「お施っさん」には、定年退職後に東京から戻ってきて京都の古い家を改修するというケースも。改修した京町家で暮らす両親を訪ねた子どもたちは「僕も将来この家に住みたい」と言ってくれることもあるそうです。
つい先日にも、事情で大阪に引っ越すことになった「お施っさん」から「せっかくつくってもらった家だから、この家をつぶさず残してくれること、工務店はアラキさんにすることを条件に売りますね」という電話がありました。
荒木さん: 「またアラキさんとこに電話がかかってきますからね」と言われてね。こういうことがあるとめっちゃうれしいですね。いい家をつくると、子どもさんもその家を大事にします。しっかりお金をかければ、次の人も残したいと思ってくれるんですね。
100年続く家をつくるには「この家に住みたい」と思う「お施っさん」がいなければいけません。「お施っさん」を大事にするには、いい大工さんが必要です。そして、工務店として大工さんの仕事を大切にすることは、結果として京都の町並みと京町家の価値を発信することにもつながっていくのです。
しかし、冒頭で書いたとおり、京都にはまだまだ改修の必要な京町家がたくさんあります。荒木さんは「うちだけでは無理なので、他の工務店にも協力してほしい」と話します。
荒木さん: うちにできるのは、大きい改修は年間20〜30軒。たかが知れています。他の工務店さんにも、技術を持つ方はたくさんおられます。ダメ元でいいから、勇気を持って「あと100万円出せば構造から直せますよ」「あと200万円出せば、ここを和室にできますよ」と提案してほしい。
そうして“地震で潰れそうなハリボテの京町家”ではなく、“規矩術をつかった本物の京町家”を残していけるといいですね。皆で力を合わせれば、工務店の状況も変わっていくんじゃないでしょうか。京町家を建売の予算で改修するのは無理があります。そのことをお施っさんにわかっていただければと思います。
京都にはもともと、古いものを直して大切につかう習慣があります。数十年で壊してしまう家よりも、人の一生よりも長く受け継がれていく家のほうが、京都のまちには似つかわしい。「アラキ工務店」の大工さんたちによって、一軒、また一軒と、京町家が息を吹き返すたびに、京都の人たちの精神文化もまた受け継がれていくのかもしれません。
インタビュアー:杉本恭子(Writin’Room)
■企業情報
株式会社アラキ工務店
〒615-0906 京都市右京区梅津高畝町52番地の2
TEL:075-882-8668 FAX:075-872-0223
URL: http://www.kyoto-araki.jp
荒木勇(あらき・いさむ)
1961年京都府生まれ。同志社大学経済学部卒業。日本生命保険で16年間勤務した後、京都に戻り2001年アラキ工務店に入社。2003年、同社代表取締役社長に就任。現場監督として現場の差配も行っている。古家改修ネットワーク理事長、古材文化の会理事、京町家作事組理事、日本民家再生協会理事。