人との出会い、心の繋がりに真価を見出し 日本人の“魂”に触れる手作りの旅を提案「株式会社 日本の窓」
2017年に訪日外国人数は2800万人を突破。インバウンドブームはますます盛り上がりを見せています。ご承知のとおり、国内の訪問先として京都は屈指の人気を誇ります。
訪日旅行客を対象とした旅行会社のサービスも多様化しています。インターネットを活用したセルフ~セミオーダー方式が多数を占める中、対極ともいえる「フルカスタマイズのオーダーメイドツアー」を軸に展開しているのが「株式会社日本の窓」(以下、日本の窓)です。
ミッションは日本文化の真髄を伝えること
代表取締役社長のルガシ・アブラハムさんはイスラエルのご出身。子どもの頃から日本が好きで、20代の初訪問時に「禅の文化」に感銘を受け、再訪時には小浜の仏国寺で3年の修行を敢行されました。並行して弓道を学ぶなど、日本文化の奥深さや繊細さに魅了され、2007年に「日本の窓」を奥様とともに創業されます。
社名の由来には、訪問地を単に外から見るだけでなく、オープンにして覗きこむイメージのようで、「人との出会いと体験が、自分の世界を広げる」というルガシさん自身の旅の価値観、理想が込められています。そして、コンセプトは「本物の日本文化に触れられる旅を提供する」。同社の考える「本物」の意味、そして重要性についてお聞きしました。
ルガシさん: 芸妓さんの踊り、お花、お茶など見どころが多いのは京都の魅力ですが、それらを短時間に詰め込んだ「ショー」のようなツアーが巷にあふれています。
我々が考える旅の醍醐味は、プロたちの魂に触れたり、訪問先の人々の生活を知ることです。
例えば茶道の場合、お茶をたてる体験だけでは魅力はわからないはず。互いに影響し合ってきた華道・連歌といった周辺文化も含めた総合的な知識、そして「侘び寂び」の心を知ることも欠かせません。日本料理も同様です。外国人には味が薄く感じますが、料理人の「自然に対する畏敬の念」が現れていると知れば、食材の細かな違いがわかるようになります。無理に好きにならなくてもOK。相手の思いの根底を知ろうとする姿勢が大切です。
地域を巡るライトなツアーでは満足できない「本物志向」のニーズに応える同社のツアー。多様な日本文化の背景まで伝えるとなれば、ガイドにはかなり高いスキルが求められるはずです。
ルガシさん:日本の文化の「自然を生かす」という概念は説明しづらいし伝わりづらい。だけどボブ・ディランのボーカルと同じと言えば伝わるものです。キレイな声ではないけど、どこか味がある(笑)。そういう柔軟な説明をできるスキルが必要です。
取材時、ルガシさんが以前にエスコートしたお客様からのメールをご紹介いただきました。「あなたの視点をとおすことで、日本の見方が変わりました」「人生で最高の経験でした」と、旅のプランニングに対する高い評価が綴られていました。同社が提案するサービスは、後の人生にも好影響を与える旅。お客様の満足度は極めて高く、そのクチコミによって新規利用客の獲得に繋がるという好循環が生まれています。
現在、スタッフ27名のうち半数が外国人。この構成には「多様な価値観や考え方を取り入れて、幅広い提案力を身につける」という狙いもあるようです。
ルガシさん:ビジネスの文化も国ごとで異なります。私は少しうるさいオフィスの方が仕事は捗るけど、日本人は「静かに働きたい」という方が多くて、たまに文句を言われます(笑)。
大切なのは異なる価値観を認めて、よりよいバランスを探ること。我々はお客様と同等に、訪問先の日本人に対する配慮も欠かせません。幅広い視野や考え方ができるよう、スタッフ同士のディスカッションを頻繁に行っています。
かかわる全ての人たちに心配りを。信頼関係こそ活動継続の基盤
訪日旅行客の増加は地域に恩恵をもたらすように感じますが、様々な問題を生む要因も潜んでいます。例えば、本来は伝統工芸で栄えている地にもかかわらず、観光需要により“お土産づくり”の比重が高まり、文化の衰退を招いてしまうというケースは珍しくないようです。
このような問題の根源には「旅行会社が地域の状況を考慮せず、顧客のニーズを優先して旅行の手配をする」という風潮が一因だとルガシさん。「本物」を届ける同社のサービスは、「本来の文化を理解し、尊重する姿勢を備えてほしい」という願いのもと、提供されています。
ルガシさん: 職人やアーティストの現場を訪問しても、毎回お客様が作品を購入するわけではありません。作品だけでなく、プロが「時間」を割いて「技」を見せてくれることに価値があると考え、訪問させていただいた現場には必ず対価をお支払いし、職人やアーティストとお客様の双方がwin-winになる関係を構築しています。
日本文化を教えて下さる方と私たちは、ビジネスというより個人同士の結びつきを大切にしています。万が一トラブルが起こったとき、外国であればお金を払えばOKというスタンスですが、日本はそうではない。信頼関係が極めて重要です。
訪日旅行客はもちろん、訪問先の人々、一緒に働く運転手やスタッフなど、旅を取り巻く全ての人をお客様と考えるのが「日本の窓」の哲学とのこと。それは取材で訪れた同社オフィスにも明確に表れていました。普段、ディスカッションが行われるというオープンスペースには、茶室・パターゴルフ・卓球台、さらにトレーニングルームまで併設。リフレッシュのための仕掛けの数々には、ルガシさんのスタッフへの思いやりが感じられます。このような心がけにより同社の活動は安定し、成長を続けているのでしょう。
そうして地域と訪日旅行客が良い関係を築くことができれば、安定した雇用機会の創出にも繋がると期待を寄せます。
ルガシさん: 人が集まること自体が雇用機会を生み出すチャンス。これを生かすことができれば若者が地域に戻ってくるキッカケになり、ますます活性化するでしょう。例えばアートの地である直島は、旅行者の増加と島の試みがリンクした成功例。我々は直島の例を小さなスケールにして、日本の村々に当てはめて考えています。
大切なのは訪日旅行客が増えたら何がどう変化し、それにどう対応するか、長期的スパンで考えること。その変化をコントロールする一翼を我々が担っています。
紛争の多くは政府間の問題。
人同士が繋がる旅に可能性を確信
「日本の窓」が提案するツアー先は京都に限らず、日本全国が対象です。「広島」を提案する機会が多いのは、ルガシさんの「平和」に対する思いの表れだそうです。
ルガシさん: 人を玉ねぎに例えると、上の皮から「日本人」「女・男」「年齢」があり、皮を剥くごとに相手の「人格」に近づきます。例えば死生観 。誰 もが 死 ぬ けども捉え方は人それぞれ。侍は切腹で死ぬなんてパッと聞いても外国人には理解できませんが、大切なのはその思いを知ろうとする姿勢です。
残念ながら過去の戦争の歴史から「日本人は冷たい」という印象を持つお客様はおられます。しかし、日本に来て、日本人と会うとギャップに驚く人はとても多い!日本に家を買ったお客様もいるぐらいですから。
これまでは政府と政府が国の関係を作ってきましたが、今後は個人同士の関係から国の関係を作り上げていくことがますます重要になってくるはずです。
革新の姿勢と、自分と向き合う時間と…
継続するインバウンドブームに加えて、今後は東京オリンピックが控えています。訪日旅行客を対象としたツーリズム産業の競争はさらに激しくなるでしょう。そのような見通しの中、「日本の窓」がさらなる成長を続けるにはイノベーションが不可欠だとルガシさんは言います。
ルガシさん: 今はインターネットでモノを買う時代ですが、カメラ量販店も沢山のお客さんで賑わっています。価格はネットのほうが安くても、スタッフの専門知識や提案に対するニーズがあることがわかります。だからといって、当社の今のスタイルがいつまで続くかは不明です。我々も時代に合わせて変革していかなければなりません。
それと並行して、私たち自身も旅をすることが大切です。私も1年に1~2回、家族で旅を楽しんでいます。オフィス内は時間の流れが速く、自分を見失いがちです。そんなときこそ旅にでて、人と人との関係を楽しむ、自分の大切なことと向き合うという原点に立ち返る作業をすべきです。
創業からしばらくしてスタッフが増えてきた頃、私の考え方が共有できずにスタッフみんなが苦労したことがありました。状況を打開するために、週末にみんなで奈良へ旅行に出かけてディスカッションを開いたのはとても効果的でした。
スタッフにもっと旅を楽しんでもらうために、今年から予算と時間を設けました。先日もスタッフ3名が金沢を訪問しました。これは訪日旅行者の興味が高まっているため、勉強も兼ねてのプランだったそうです。こういった試みがいずれ提案力の向上に繋がれば理想的ですね。
お話いただいた「日本の窓」の理念、「本物」を伝えるというこだわりは、あらゆるビジネスや活動に当てはめることができるのではないでしょうか。状況に合 わせ過ぎて、本来売りたいものではないものを売っている。この状況はツーリズム産業に限った話ではありません。
活動に迷いが生じたとき、自社のビジネスが停滞していると感じたとき、ルガシさんのお話を参考にされてみてはいかがでしょうか?
■企業情報
株式会社 日本の窓
〒615-0092 京都市右京区山ノ内宮脇町15-1 クエスト御池 2F
TEL|075-748-0286
URL|http://www.windowstojapan.com
ルガシ アブラハム
1983年より3年間、母国イスラエルの義務傭兵に従事。1986年よりガイド職に従事する傍ら、旅先にて仏教について学ぶ。1990年に日本へ初訪問。1995年の再訪時に拠点をイスラエルから日本へ。三年間、仏国寺での修行に専念。アジア全域のツアーガイドとして活動した後、2007年に株式会社日本の窓を創業。