起業環境の変化とバックオフィスの役割|田中 慎

私は税理士・中小企業診断士として、またSILKのコーディネーターとして個人の起業や中小企業の支援をしていますが、一方で「SOU-MU NIGHT」という企業の総務やバックオフィスで働く人たちが繋がる場を提供する「SOU-MUプロジェクト」を主催したり、梅田のコワーキングスペースONtheで「起業研究室」という起業家支援プログラムを企画するなどしています。
私がずっと考え続けているのは「より良い支援とは何か」という問いであり、全てはその問いから派生しています。起業支援から始まり、なぜバックオフィスで働く人のためのプロジェクトを主催しているのか。今考えていることについて書き記したいと思います。

[目次]
1. 地域の起業環境の現状と関係性の分断
2. 「理想は分かる。だけど、現実にうちにはこんな問題がある。」を共有することからすべては始まる。
3. 変化を生み出すためには構造を変えること。構造を変えるにはバックオフィス業務をリデザインすること。
4. さいごに

1. 地域の起業環境の現状と関係性の分断

自由な生き方・働き方を目指す人にとって、今はとても一歩を踏み出しやすい環境になっています。人生100年時代に会社に頼りすぎない働き方を推奨されている。パソコン1台で起業できて、コワーキングスペースなどの交流施設で仕事のパートナーと繋がることもできる。その環境自体は10年前に比べ、とても恵まれた環境です。ただし「自由と責任」や「権利と義務」という言葉が古くから言われているように、自由を得るために学び続けなくてはならないことがあります。

起業家になっても、税や社会保険料の知識を知らなければ、そもそもの自分のサービスの対価を決めることができません。起業すれば必須になる会計処理に関しても、インターネットで自分にとって耳障りの良い言葉に踊らされ、損をしていることにすら気づかず本業に悪影響を及ぼしている起業家やフリーランスが増えています。

支援者である士業などの専門家も、バックオフィス業務のIT化に全くついていけていない方や、SDGsをはじめとした社会の変化についていけない方も少なからずいるため、起業家が最初の一歩の事業戦略を大きく間違えてしまうケースも多く見受けられます。

企業のバックオフィスで働く人も、テクノロジーの力をフル活用して業務を効率化している方、組織開発の学びを生かしてチームの働き方をデザインする方もいる一方で、何かと理由をつけて変化を拒み、業務効率化を妨げる人も多い。経営者の中にも、バックオフィス人材をコストとしてしか捉えられない人もまだまだたくさんいるでしょう。

地方自治体も創業支援に取り組むけれど「夢を叶える起業」と言いながら目標起業件数の達成だけが目的となり、経営知識が乏しいまま苦労する起業家を量産している地域もあります。そして優秀な起業家は優秀な支援者を求め、東京や世界に出て行く。

みんな一生懸命やっているのに、何かうまくいっていない起業環境がある。そう、まさに日本の多くの地域がこのイラストのような現状ではないでしょうか。

2. 「理想は分かる。だけど、現実にうちにはこんな問題がある。」を共有することからすべては始まる。

このような環境で起業する結果、多くの場合で最初から企業内部に認識のズレによる問題を内包しており、年月の経過に伴って問題が顕在化します。

SILKでは以前「働き方改革チャレンジプログラム」という一連のプログラムを実施しました。「ただ専門家を派遣して表面的に課題解決をするのではなく、経営者・社員が根本的な問題に気づくことから始めるためにはどうしたらいいか」試行錯誤しながら一から作りあげたプログラムです。

私達が中小企業にヒアリングにいく中で、経営者に話を聞くと「社員にはもっとボトムアップで提案してもらいたい。自主性がない。」と言い、社員に話を聞くと「経営者は現場のことが全然分かっていない。」と言います。

これは、働き方改革でも、業務改善でも、どんなテーマでも根本的な問題は同じ。多くの問題の原因は、この経営者と社員とがそれぞれお互いのフィルタを理解し合えないことから生じると考えています。このような状態の中で、システムをクラウドに変えようが、人を増やそうが、組織はうまく機能しません。

どのようにして、その考え方のズレに気づいてもらうか。私達のような外部の専門家から問題点を指摘をしても、根本的に変わることはない。そこで私達は、規模も業種も違う中小企業7社の経営者と従業員に同じテーブルについてもらい、「7社で一緒に」働き方改革を進めることにしました。

これからの時代の生き方や働き方はどうなっていくのか。共通認識として、各界のトップランナーからインプットを受け目線を上げて、他社の経営者、従業員と会社の課題について話し合う。その中で、まず同じような悩みをみんな抱えているということに気づき「共感」する。そして、他社ではどのような工夫をしているのかを知り「刺激」を受ける。

「理想は分かる。だけど、現実にうちにはこんな問題がある。」

率直に感じる違和感、理想と現実とのギャップを他社の人達と話し合うことが大事。それでも対話の中で、似たような規模の会社で実践している事例があることを知れば、自社でも何か小さく行動できるかもしれないと思う。

このプログラムが総務・バックオフィスで働く人のための「SOU-MUプロジェクト」のベースになっています。従来の枠を超えて、個人・企業・地域・行政が良い関係性を育めば、きっと自分たちの働く環境は良くなるということ。

問題を関係性の中でとらえるシステム思考の中で、私が好きな言葉があります。

「自分が問題の一部を構成していることに気づくこと」

それが「働き方改革チャレンジプログラム」を通じて提供できた一番の気づきだったと感じています。一番大事なことは自分自身で気づき、行動を変えていくこと。これは決して「自分を責める」ということではありません。

先の言葉は「自分が問題の構造の一部であるからこそ、自分が起点となりその問題を解決することができる」という言葉につながります。問題の構造の外にいる外部のコンサルタントはそのきっかけをつくることしかできない。だからこそ企業内部のバックオフィスで働く人の力がなければ、組織を変えることはできません。

私達は「働き方改革チャレンジプログラム」で経営者・社員・支援者・行政が共創する今までに類を見ないコンサルティングモデルをつくったと考えています。「閉ざされた関係性」での問題解決から「開かれた関係性」での問題解決へ。それこそがオープンイノベーション2.0そのものではないでしょうか。

3. 変化を生み出すためには構造を変えること。構造を変えるにはバックオフィス業務をリデザインすること。

私は、日々支援の仕事をしていて「変わること」の難しさを痛感しています。「自分が問題の一部を構成していることに気づくこと」その気づきを得られたとしても、作業に追われる日々に戻れば何もなかったかのように元に戻ってしまう。その問題解決として、総務やバックオフィスで働く人達のための「SOU-MUプロジェクト」を始めました。裏方であるからこそ企業内の制度や仕組みをリデザインすることができる。悪い循環に陥っている構造に介入し、良い循環に変えていく。総務やバックオフィスで働く人達こそが「気づき」を「行動の変化」に繋げて組織の風土を変えていくことができる「変化の担い手(Change Agent)」です。

また、バックオフィスで働く人のIT活用の度合いが企業の生産性を左右することは周知の事実ですが、この数年クラウドサービスの台頭によってその差はますます大きくなっていると感じています。都市部のスタートアップで働くバックオフィスの方は、昨今クラウドサービスを活用した業務フロー構築が中心となっています。

かつては高額なシステムを購入しなければならず、バージョンアップの都度支出が必要であったものが、現在は月額利用料を払うことで最新版のシステムを利用することができます。これは初期のシステム投資に多くの資金を出せない起業家にとって強い味方になっています。かつてはバックオフィス業務に「間違いなく正確に作業をする能力」が求められる時代もありました。しかしながら、今バックオフィスで働く人達に求められているのは、「間違いなく正確にデータが流れる仕組みを構築する能力」です。

組織に意識の変化を定着させることができるのも、効率化による生産性の向上を仕掛けることができるのもバックオフィスの面白さです。でも、総務やバックオフィスで働く人は、他社の総務さんとの繋がりがない。社会の変化には気づきながらも、自社のやり方しか分からないし、それが正しいのかも分からない不安と向き合っている方が多い。

「社内に落ちているボールを拾い続ける。」そのように表現する人もいるバックオフィスの仕事で鍛えられる嗅覚は、まさに分断が進む社会において空いている穴を見つけるために重要になります。円滑に回っていない部分に目が向く特性。強く、優しく、その穴を埋める。経験してきた分野が専門としてカテゴライズできないほど広いからこそ、他の人よりも落ちているボールを見つけやすい。

そうしたバックオフィスで働く人たちの特性は、「SOU-MU NIGHT」のようなイベントで他社の総務・バックオフィスの人、その大切さを理解する士業や経営者、広報や営業といった人たちと繋がり、価値観を共有することであらためて自分で認識することができます。

4. さいごに

これからの時代は、総務やバックオフィスの人がもつ能力が必要になると確信しています。しかしながら、環境によってそれぞれの持つ武器に大きな差がつきはじめています。外に目を向けず、同じ作業の繰り返しを良しとしているバックオフィスにとっては厳しい環境になっていく。それほどバックオフィスを取り巻くテクノロジーの進化は急激に進んでいます。そして、そのバックオフィスのテクノロジーによる生産性の差が、歴然と企業成長の差に表れていく時代になっていきます。
 

総務・バックオフィスで働く人が自ら選択をして、今はまだクラウドを利用しないという発想ももちろんあるし、当然その判断が良い場合もあります。しかし、特に地方の中小企業で働く多くのバックオフィスの人は「知らない」もしくは「選べない」というケースが圧倒的に多いのです。そしてそれは本人の問題というより、その周りに「最新の情報や正しい考え方を教える人もいない」環境の問題だと感じています。

そしてテクノロジー偏重だけでもうまくチームは回らない。組織の文化を醸成していくこと、働く人たちの関係性をうまく繋いでいくこと。それも総務やバックオフィスで働く人だからこそできること。

「SOU-MU NIGHT」は、その文化とテクノロジーの象徴として、京都と東京で始まりました。このような社会の変化に目を向け、社内の変化をデザインするバックオフィス担当者が地域で関係性をつくりながら起業家を支援する。このような起業環境整備こそが、これからの地方での起業支援にとって重要だと考えて取り組んでいます。


 

>研究テーマ・研究員リストへ

田中 慎|イノベーション・コーディネーター

田中 慎|イノベーション・コーディネーター

税理士・中小企業診断士 / イノベーション・キュレーター塾 第一期生
1982年生まれ。兵庫県三田市出身。 経営者の良きパートナーになりたいと思い、大学卒業後税理士補助業務に従事。2011年、29歳で税理士試験合格、登録。税務だけではなく、幅広い経営相談に対応するため中小企業診断士の資格も取得。2016年税理士法人田中経営会計事務所設立。中小企業支援においては、経営戦略策定からクラウド会計、ExcelVBAをはじめとしたITツールを活用した業務効率化支援を得意とする。また、中小企業企業診断士等の専門家を対象に創業、事業承継研修を担当。 身につけてきたスキルを今後誰のために活かすのか疑問を抱いていた折にSILKの考え方に共感し、イノベーションキュレーター塾第1期に参加。「社会変革×会計」をフィールドに、2017年より非常勤で現職。

❏ 得意分野/担当業務
・税務、財務分析、収支計画立案業務
・事業の伴走型コンサルティング業務