組織のブレイクスルーは総務・人事から始まる!│働き方改革セミナーレポート[前編]

皆さんは総務・人事の仕事にどんなイメージをお持ちでしょうか。組織の働き方改革を考える時、色々な場面で総務・人事の動きが鍵になってきます。しかし実際には、組織を良くしたいと思っても、事務仕事に追われて余裕がなかったり、社内の色々な壁にぶつかって思うように動けないという話をよく耳にします。

この日のセミナーは、そんな方達が一歩踏み出すきっかけを作るために開催されました。前半は、総務課課長として働きやすい職場作りに取り組み、社内外に向けて様々な改革を実践されている 株式会社特殊高所技術 青山 太輔さんと、SILK阪本コーディネーターによるトークセッション。後半は、井澤 友郭さんによるレゴ®ブロックを活用したワークショップを行いました。

(以下、敬称略)

青山: 皆さんこんにちは。まずは簡単に自己紹介をさせていただきますね。僕は株式会社 特殊高所技術という会社で総務と人事を担当しています。読んで字のごとく高いところで仕事をしている会社でして、橋やダム、風力発電といったインフラ構造物にロープ一本でぶら下がって、保守点検、補修、施工をしています。

僕がこの会社に入ったのは、作業中の技術者の写真を見てこの仕事をしたいと思ったことがきっかけでした。ところが入社して4ヶ月くらいでドクターストップがかかりまして、技術職を諦めて、総務として働くことになりました。その時会社に初めて総務という部署ができたんです。実はその頃は、毎日仕事を辞めたいと思ってました。僕がしたかったかっこいい現場仕事を皆がしていて、自分に回ってくるのは機材の手配とか、黒子みたいな仕事ばかり。なんのために働いているのか、分からなくなっていました。

ですが、あることがきっかけで総務の仕事がすごく楽しくなって、その瞬間から仕事をしているという感覚がなくなっていきました。事務作業は確かに次から次へと出てくるのですが、それだけではおもしろくないので、思いついたことを会社の中でも外でもどんどんやってきました。すると色んな方と繋がりだして、今日このような場に呼んでいただいたというわけです。

総務の仕事への社内評価がだんだん変わってきました

阪本: お話を伺って、そんな時代があったということに驚きました。気持ちが前向きに変わられたきっかけは何だったのでしょうか?

青山: 当時は毎日ストレスしか感じていなかったんです。僕は14人目の社員として入社して、そこから6年で社員が81人まで増えました。女性の技術者も1人います。当時は僕以外の全員が日中現場に行っているので、朝、僕の席の前に行列ができるんです。皆から色んなことを頼まれて、すぐにPCのモニターがライオンみたいにふせんでいっぱいになります(笑)。昼の間に電話対応もしながら頑張って減らしたふせんが、皆が帰ってくるとまたわっと増える、という繰り返しでした。社長からも後輩からも「青山!」「青山さん!」と1日に何十回も大声で呼ばれてですね。もうええ加減にせい、という気持ちでした。

そのイライラを沈めるために本に逃げたんですよ。すると、ある本に「視点を変えてみよう」というような話がありました。僕は皆から名前を呼ばれるのが嫌で仕方なかったんですけど、その時に名前を呼ばれるのは自分が必要とされているからだと気づいたんです。「オレばっかり名前を呼ばれるってことは、会社で一番頼りにされているってことや!」って。信じてもらえないかもしれないですけど、それからは名前を呼ばれるたびに「よっしゃ!」と思うようになりました。きっかけと言っても、たったそれだけのことだったんです。

そのうちに、社内の総務の仕事への評価も変わってきました。それまでは、総務なんて生産性ないしとか、オレらが汗水垂らして作った売上を持っていきやがって、というような雰囲気がありました。今は、会社全体として社内向けの仕事の重要性が浸透してきました。

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阪本: それは嬉しいですね。周りの意識が変わったことで、どんな変化がありましたか?

青山: 会社が大きくなるにつれて、外向けの仕事と社内向けの仕事が完全に縦割りになっていたんです。それで社内のことは僕が全て引き受けていたんですけど、ちょっとずつ僕の仕事を軽減しようと手伝ってくれる人が出てきました。嬉しいことに、先輩たちも僕の仕事のバックアップをしてくれるようになってきたんです。

阪本: 社内で色んなことにチャレンジしてこられた中で、具体的にはどんな取組がありますか?

青山: 例えば、道具の管理方法を変えました。もともとは全て個人で管理していて、会社が管理状況を把握できていなかったんです。でも仕事が高所での作業なので、道具の管理に社員の命がかかっているんですよね。設立当初は全員がスペシャリストだったのでそれでも問題はなかったのですが、人が増えるにつれて管理がずさんになっていると感じていました。なので、一部の道具は共有備品として、会社で定期的に点検や数量管理をしましょうと提案しました。

不満をそのまま経営陣に伝えるのではなく、改善策を社員と一緒に考えます

青山: 労務の面でいうと、就業規則の見直しには継続的に取り組んでいます。最初は雇用形態も今とは違って、個人事業主の集団だったんです。裁量労働制で、出勤・退勤の時間も自由でした。途中で就業規則ができたんですけど、既存の規則をどこかから持ってきたみたいで、うちの会社には当てはまらないことも多くて。社員の不満があちこちから聞こえてくるようになっていきました。

阪本: 私も前職では総務・人事の仕事をしていたのですが、プライベートも含め社員一人ひとりの様々な相談や苦情、要望が集まってくる部署ですよね。そこで従業員と経営者との橋渡しをすることも重要な役割だと思うのですが、そのあたりどのように動いてこられましたか?

青山: 最初の頃は、社員の皆から意見を聞いて改善案を練って、役員会で提案をすると社長にバサッと却下される、ということの繰り返しでした。先輩たちもこれを経験してきたから、もう提案することを諦めているんだなと思いました。僕は結構負けず嫌いなので、だめだと言われても何回も食らいついていったんですよね。

するとある時、社長から「オレ、弱い人間作りたくないねん」と言われました。社員の前に立ちはだかった壁を会社が取り除くことはその人の成長につながるのか、その壁を乗り越える方法を一緒に考えることが我々のやるべきことなんじゃないか、と。その時に、今までのやり方をちょっと変えた方がいいのかも、と気づいたんです。従業員からの訴えを受けて総務と経営陣が考えるというやり方ではなく、どういう制度にするかまで従業員と一緒に考えて、役員会では承認だけしてもらう、という進め方をすべきなんじゃないかと考えるようになりました。

阪本: そうすると、社員さんたちも与えられるのを待つだけではなく、「自分ごと」として会社の規則を考えるようになります。まさに壁を乗り越える経験になりますね。

青山: 与えられるだけだと、一時は満足してもまた他のものが欲しくなると思うんです。自分が考えて作ると背景や思いがついてくるので、後輩が入ってきた時にも伝えてくれると思うんですよね。

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阪本: そういった取組をされて、社員の方々の顔色や意気込みは変わってきましたか?

青山: 正直にお話しすると、光と影が出だしたというか、方向性に賛同してくれる人たちはぐいぐいと後押ししてくれる一方で、愚痴や文句もはっきりと聞こえてくるようになりました。

阪本: なるほど。そこに対してはどう動かれたんですか?

青山: マイナス因子をそのままにしておくわけにはいかないので、マインドや理念の浸透をより意識して社内研修などを行いました。ある物事をプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、ほんのわずかな視点の差でしかないし、その変化を自分自身が経験したので、きっかけさえ作れば誰にでも変化は起こりうるんじゃないかなって僕は思っています。

阪本: 今日のイベントも、まさに皆さんの変化のきっかけになればいいなと思って青山さんに来ていただきました。総務の仕事を一手に引き受けながら新しい取組を進めていく、その前向きなエネルギーがすごいですよね。最初は勉強することもかなり多かったのではないでしょうか。

青山: そうですね。総務を経験した先輩がいなかったので誰も何も教えてくれなかったし、分からないことはとにかくインターネットで検索して調べていました。それで理解できない時は顧問社労士さんと顧問弁護士さんに電話して、時には事務所まで押しかけてレクチャーを受けました。

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責任を取るってどういうことか、考えました

阪本: そうやって知識を得たことでまた次の取組が生まれて、どんどん発展してこられたんですね。今もやりたいことはどんどん増えていますか?

青山: この部分をよくしたいと思って手をかけると、芋づる式に色んな課題が出てくるんですよね。1つのことを変えるには、他のところも同時に変えていかないといけない。

阪本: 総務・人事は責任の重い業務も多い中、青山さんは常に視点が上を向いていらっしゃるなぁと思います。

青山: うちの会社は何かを決める時には必ず役員会の承認が必要だったのですが、パンフレットを新しく作りたいと思った時に「一切の権限を僕にください」って社長に言ったんです。写真や文言一つずつにいちいち意見を求めていたら、時間がいくらあっても足りないなと思いまして。社長に「責任取れんの?」って聞かれて、「はい、取れます」と即答しました。その瞬間から、責任を取るってどういうことやろう、と考え始めて、迷走するんです。

いざ自分が責任を取る立場になった時に、お金を払うのか、辞めるのか、いや、どれも違うな……と色々考えて、結局たどり着いたのはやり切ることでした。失敗しても、あきらめずに最後までやり切ることが責任を全うするということではないかと。それまでは何をするにも全部、社長や役員に判断を仰いでいました。今思うと責任を上に転嫁していただけなんですよね。今は後輩たちにも、責任とはどういうことかを考えて仕事をしてほしいと伝えています。

阪本: 本当にいつも前向きで楽しそうですよね。今、仕事はどれくらい楽しいですか?

青山: 僕、正月休みが嫌いなんです。30日から休みに入って、大掃除をして、大晦日が来て、1日におせちをつまみながらもう「会社行きたいな、皆何してんのかな」って思うんですよね。我慢できずに、奥さんにごめんと言って2日から会社に行ったりしてました。そしたら同じようなやつが、僕以外にも何人か来てるんですよ。「正月に仕事なんかすんな、早よ帰れよ」って、お昼を食べて帰りました。僕は総務課長であり人事課長でもあるんですけど、「人事」を「じんじ」ではなく「ひとこと」課と呼んでいるんです。「人のこと」という意味と、「一言ひとことを大事にして、糧にしていこう」という意味をかけています。会社は僕にとって、単なる仕事場を通り越して自分の落ち着ける場所、ありのままでいられる場所ですね。

阪本: 社員の方への愛を感じますね。ありがとうございます。まだまだお話を伺いたいのですが、ここで質疑応答に入りたいと思います。

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「〜ねばならない」を減らして、失敗できる環境を作りたい

Q: 私も自分の仕事がすごく好きなので、共感できるところがありました。うちの会社は今従業員が約500名、正社員は半分くらいなんですけど、若い人を見ていると仕事をやらされている感じが強くて、全然楽しくなさそうなんです。私は今育休中なのですが、どうやったら少しでも楽しく仕事をしてもらえるのかなと悩んでいます。若い人たちに楽しく壁を乗り越えてもらえるような秘訣があったら教えてください。

青山: とても難しい質問ですね。個々の事情によって、どうやってサポートしてあげるかは変わってくると思うんですけど……昔、うちの会社には「〜ねばならない」という決まりがたくさんありました。仕事内容が命に関わるものなので、文化としてこれはやってはいけない、こうしなければならない、という考えが多かったんです。その空気が必要以上に蔓延していて、失敗できる環境が失われていたんです。僕は失敗が一番の経験だと思うので、どんどん許容していこうと思っています。会社の規模が大きくなって、1人のちょっとした失敗が経営に打撃を与える心配もなくなってきたので。

最近は色々な「〜ねばならない」を白紙に戻しつつ、社員が失敗した時に、原因や対処方法、どうしたら防げたかなど、1時間くらいかけて話を聞くようにしています。人のせいにすることが一番よくないので、あなたにできることは何ですか、という問いかけを必ずします。失敗した時に上司から怒られることもやっぱりあるんですけど、僕がにこにこしながらその人に「なんで失敗したん?」って聞きに行くことで、そういう考え方が従業員一人ひとりに根付いていくといいなと思っています。「〜ねばならない」で育てると型にはまっちゃうので、新しい一歩を出す勇気を奪っていくんですよね。個人の持つ能力を最大限発揮する組織にしていくために、方向性を変えないといけないと思いました。

Q: 社員2,000名程の会社で働いています。うちの会社でも、色々な取組をする中で賛同する声と不平不満がはっきりと出てきている状況です。会社全体が一つの方向に向くようにと思って研修の企画などしているのですが、特殊高所技術さんでは具体的にどんな研修をされていますか?

青山: 研修は月に1回、全ての業務を止めて、全営業所をオンラインでつないで実施しています。年に1回は、全社員が1ヶ所に集まる機会を作ります。内容はその時々に必要だと思ったものをやるんですけど、去年はワールドカフェ形式で「10年後に素晴らしい会社になるために、どういう取組をしていきましょうか」という話し合いをしました。

※ワールドカフェ形式とは … カフェのようにリラックスした雰囲気の中で、メンバーの組合せを変えながら4~5人単位の小グループで自由な話し合いを続ける話し合いの方法。

今年は、全体の統一感を作るために1本の木を作るワークショップをしました。まず皆に自分の夢をばーっと書いてもらうんですよ。4〜5人のグループの中で自分の夢を語り合って、お互いに「僕は○○さんの夢に対してこんなことできるかもしれへん」っていうことを伝え合います。そこで生まれた大量のふせんを1本の木に貼っていくというワークです。最初は皆照れくさそうで意見が出にくいこともありますし、「こんなんやる意味あるんですか」っていう声も出ます。でも、去年のフィードバックを見ていると、1年だけで5人くらいは「考え方が変わってきた」「やってよかった」というポジティブな意見がありました。「5人だけ」という見方もありますけど、僕は「5人も変わったぜ、これで」と考えるようになりました。僕が1人で始めたことだけど、これからはこの5人も自分の変化を周りに伝えていってくれると思ったら嬉しくて。

僕は、不平不満が出ることも大事なんじゃないかなと思っています。ネガティブな意見のおかげで会社が良い方向に変わることもあるし、うまく補い合えばいいと思っているんですよね。一番重要視しているのは、他者に関心を寄せるということ。自分だけ良ければいいというところから「私たち」という感覚になった瞬間、会社で起きていることに興味を持てるようになると思うんです。成果が見えるのは少しずつかもしれないですけど、あきらめずに続けていこうと思っています。

Q: 青山さんが今までに失敗したことはどんなことですか?

青山: 法務関係の契約処理で、やってもうたことがあります。弁護士さんから助言をもらって、お客さんから提示された契約書から想定しうるリスクを洗い出していたんです。許容できる程度のものや発生確率の低いものはそのまま通せばよかったんですけど、だんだん全てがリスクに思えてきて、契約書の内容に問題があるからこのままでは契約できないと担当の方に伝えました。その相手が、うちの会社が設立して初めてお仕事をくれた大切なお客様だったんです。先方から「ほんまに言うてるんですか?」と何回も確認されて「もちろんです」と返した瞬間、社長と一緒に呼び出されました。僕のせいで、上顧客を失いかけたわけです。

結局大事には至らなかったんですけど、その時社長が「よかったやん」って言ってくれたんですよ。「うちの会社がここまで契約書を読み込んでいるとは向こうも思ってなかったやろう。さすが特殊高所技術さん、しっかりやったはるんやなって思ってくれたんとちゃうか」って。泣きました、名古屋で(笑)。自分の視界が狭くて、周りが見えていなかったことが分かった。そこから、双方向から見ること、俯瞰して見ることを意識するようになりました。

Q: 研修の内容は、青山さんが勉強してきたことやご自身の経験から組み立てられるんですか?

青山: ちょっと話がそれるんですけど、僕は31歳でこの会社に入社しました。それまではずっと定職につかずに遊んでたんです。中学1年生の夏休みからずっとです(笑)。勉強する意味が分からなくなってですね、足し算と引き算ができれば釣り銭はごまかされへんと思って学校へ行くのをやめました。なので、はっきり言って、「学」というものはないんです、僕の中には。

でも僕が感じた心境の変化って何なんやろうと調べていくと、脳科学や行動科学、心理学の本に「あ、これ、オレのことや」と思うものが出てきたんですよ。学者さんは僕のわけ分からん心境の変化を、ずっと前から論理的に発見してはったんです。これを皆にも伝えていこうということで、本の読み合わせなどの研修をやるようになりました。

Q: 自分が関わることで、自社をどういう会社にしたいと思っていますか?

A: どういう会社にしたいというのは、あんまりないですかね。入社した時は会社を大きくしてやろうと思ってましたけど、社員が辞める時も引き止めないですし。その人がうちの会社で得た力を、次のフィールドで活かしてくれれば嬉しいです。会社の中にいる人だけが仲間という認識ではなくて、この場で今日お会いした皆さんがそれぞれの会社に戻って変化していくことを期待していますし、この場にいる皆さんも僕の仲間だと勝手に思っています。会社という括りではあまり考えていなくて、関わる人一人ひとりが良くなればいいなと思います。

[後編]へ続きます

主催:京都リサーチパーク株式会社 共催:公益財団法人京都高度技術研究所
会場:公益財団法人京都高度技術研究所 10階 プレゼンテーションルーム

写真・文:柴田明(SILK)


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