「ここで働きたい!!」と思われる組織を作るには│京の企業「働き方改革チャレンジプログラム」実践セミナーレポート[前編]
「最初は無理だって皆に言われました。でも、そんな常識誰が決めたの?と思ってやってみたら、できちゃった」
そんな言葉が印象的な、光畑由佳さん(有限会社モーハウス 代表取締役/NPO法人子連れスタイル 代表理事)の子連れ出勤のお話を基調講演として始まった、京の企業「働き方改革チャレンジプログラム」実践セミナー。製造業・旅館業・建築設計業から個性豊かな3社に加わっていただいたトークセッションでは、参加者の皆さんが思わず目をみはるエピソードが満載でした。
(以下、敬称略)
子連れ出勤って大変じゃないですか?
出産後に赤ちゃんを連れて出かける難しさを痛感し、2人目の出産から数ヶ月で授乳服の製造販売を行うモーハウスを立ち上げた光畑さん。お母さんがもっと気軽に出かけられる社会を作るために授乳服を普及させたいという思いと共に、子供が小さい間はお母さんは働けないという常識にとらわれる必要はないのではないかと考え始めました。
光畑: 最初は茨城の事務所で子連れスタッフを雇用し始めたのですが、頭で考えてそう決めたわけではなく、私にとっては当たり前のことだったんです。働き方のことを意識するようになったのは、日経新聞が子連れ出勤を取材したいと連絡をくれたことがきっかけでした。そこから、子供が小さいうちは仕事はできない、子供を預けないと働けない、そんな常識は誰が決めたの?と考えるようになりました。
社会の意識改革を進めるために、私たちの働き方を見せていくことには意味があるのではないかと思い、それなら東京でもやってみようということで青山に路面店を構え、現在はショッピングセンターの中にある店舗でも子連れスタッフが赤ちゃんを抱っこ紐で抱っこしながら接客や発注など全ての業務を行っています。
「仕事場に子供がいてうるさくないんですか?」「集中できるんですか?」「熱が出たらどうするんですか?」という質問をよく受けるという光畑さん。最初はスタッフ自身も心配していたものの、実際には困ることはほとんどないとおっしゃいます。
光畑: ラッピングするのがちょっと遅いくらいはあるかもしれないですけど、大きく質が落ちることはないと実感しています。毎年、子連れスタッフが接客でショッピングセンター協会の賞をいただいていますよ。
オフィスも、大規模な改装は何もしていません。もちろん赤ちゃんが泣くこともありますが、お母さんがいつでも抱っこし、おっぱいも飲めるのでそんなに泣かないんです。シフトを調整したり家庭環境を把握したり、人事はちょっと大変ですが、スタッフ同士も「お互い様」という気持ちで支え合って仕事をしています。これからますます働き手が減っていく中で、色々な境遇の人が働ける職場になる必要が出てきますよね。子連れ出勤で働き方の練習をしておくと、子育て以外のいろいろなケースにもうまく対応できるのではないかと思います。
光畑さんのお話に、会場では、頷きながら熱心にメモをとる姿が多く見られました。続いて、SILK阪本コーディネーターの司会でトークセッションが始まります。まずは、新たに登壇いただく3社の主な取組をご紹介します。
秋山 怜史さん / 一級建築士事務所秋山立花 代表
○介護の職場と連携したシングルマザー向けシェアハウスを企画
○商店街での店舗誘致や交流空間の企画
○全国でのリモートワーク二九(ふたく) 良三さん / 二九精密機械工業株式会社 代表取締役
○小学校卒業までの時短勤務
○長時間労働抑制のための業務配分の小まめな見直し
○インフルエンザ予防接種や胃がんなどの検査費用を負担山内 理江さん/祇をん新門荘 常務取締役 若女将
○旅館の常識だったシフト制度を変革
○年齢や雇用形態、社歴に関わらず意見を収集する目安箱
○部門の壁を超えて効率化をはかるマルチタスク化(以下、敬称略)
業界の常識を変えることから。
阪本: 働き方改革の先進的な取組をされている会社の代表として皆さんにお越しいただいたのですが、二九さんは「働き方改革」があちこちで言われるようになる前からダイバーシティなどの考え方は意識しておられましたか?
二九: 会社は人の良し悪しで大きくなったり小さくなったりしていくっていうのは前から感じていたんです。優秀な人材を確保するという考えだけじゃなしに、皆が良い働きをできるような会社にしたいという思いはありました。それでまずは、仕事は二の次、家庭が一番や。せやから残業はせんでええと。そっから始めたんです。定時で終わって、残業してた時と同じだけの給料をもらえるような成果を出したらどうやっていうのが僕が社長になってからの基本的な考えです。
阪本: そういう考えに至るきっかけが何かあったのでしょうか?
二九: 僕はもともと家業を手伝うのが嫌やったんで、他の仕事をしてたんです。友達が月20万円くらいもらっていた時に、月給5万で奴隷のような修行期間を5年間過ごしまして。そういう下積み生活を送って従業員さんの境遇をしみじみ味わったんで、これではあかんと思いました。従業員さんの生活を豊かにするには、会社が利益をあげなあかん。そのためにも皆が一緒になって、ストレスのない、意見の言えるような会社作りをしていかなあかんということで色々変えていったんです。
阪本: 秋山さんも、もともと業界の常識を変えたいという思いで会社を始められたとお聞きしました。
秋山: 僕もまさにそういった環境で働いていました。当時、建築設計事務所は夜の10時に仕事が終わると早すぎてそわそわするというような職場環境でした。働き始めの時は月10万円の給料で、毎日10時から夜中12時半まで働いてましたね。交通費以外の手当は全くなしです。他の事務所だともっと待遇の悪いところもありましたし、これじゃこの業界終わるなとすごく思いました。業界自体が衰退していきますし、尊敬もされないし、一般の方が建築家のこと誰も知らない社会になってしまうなと。そのイメージを変えていきたいと思っています。
阪本: リモートワークを始めたのには何かきっかけがあったんですか?
秋山: 働き方改革をしようという意識でやったわけではなくて、うちの一番古株の女性スタッフがある時「来年から北海道に行きます」と言い出したんです。旦那さんが転勤になっちゃったんですよね。この子がいなくなるとまずいなということで、否応無く遠方でも仕事ができる体制を整えないといけなくなりました。彼女は今リモートワーク5年目で、この4月からは鳥取にいます。彼女がどうやったら働きやすいのかを考えた結果、今の働き方につながっているという感じです。
阪本: 光畑さんは子連れ出勤の最初のきっかけはご自身の体験ということでしたが、組織として実践していく時に意識されたことはありますか?
光畑: ちょっと余談になるんですけど、私は学生時代にゲーム雑誌を作ってたことがあるんですね。その頃、小学5年生くらいの子が原稿を書いてたんですよ。それを見て働き方って何でもありなんだなって思ったのが今のベースになっているところがあって。100%働ける人じゃないと企業は求めていないし働けないと思っていたけど、その常識を壊したらもっと皆が楽になるし、企業としても人材を確保できる。それが今のテーマになっています。
阪本: 山内さんは常識を変えるという意識で働き方改革に取り組んでこられたということですが、従業員さんに働きかける中でどんな変化がありましたか?
山内: 2週間ほど前に、調理場が80名の昼席の時間を間違えて把握していて、てんやわんやになったことがありました。その時に、機転をきかせたパートの女の子がぱっと調理場に入って、盛り付けを手伝いだしたんですね。今までの調理場だったら他の人間は足を踏み入れるなという空気があったのですが、3年前にきた新しい料理長が柔軟な考えを持った人で、彼女に続いて皆で手伝い、なんとか無事に終えることができました。
私自身も、その時に別に調理場だけが料理を作る必要はないんやと気付いたんです。調理のプロには彼らにしかできない仕事をしてもらって、例えばキャベツの千切りなんかは、機械を使って手の空いている他のスタッフがやってもええん違うんかなぁと。これまでもマルチタスク化を進めてはきましたが、包丁を握んのは調理場がやらなあかん、という今までの常識をとっぱらって部署の壁を超えて協力していかなあかんなと改めて気づかせてもらいました。
上司が変わると部下が育つ。上司が休むと、これまた部下が育つんです。
阪本: 従業員の方に働き方改革を浸透させていく中で苦労や失敗はありましたか?
二九: 人を育てるっていうのは一番難しいんです。上司がしっかりしていないと部下が育たないし、上司が蓋をしてしまっていることもあります。それで、最近は意識して上司を異動させています。すると部下が育つんです、めちゃめちゃ。管理職をずっと固定すると、その人に何かあった時に代わりをできる人がいなくて困ることになるので、ローテーションさせるのはそういう意味でも良いと思ってます。女性の課長も増やしています。教育の仕方が男性とはやっぱり違うので、環境が変わって部下はよく伸びています。ローテーションは上司にとっては大変ですが、彼らにも程よいプレッシャーが必要ですしね。
ある時、管理職の者が「有休をとって1週間休みたい」と言ってきたので、「あかん。2週間にせい」と言いました。「その間電話には出るな、メールも一切見るな。いたら頼るし、いん方がええ。奥さんとゆっくり旅行してこい」と。上司がいなくなれば、部下は自分で考えてちゃんと仕事をします。何の心配もないんです。結局、不安になってメールは見ていたみたいですけどね。やっぱり家庭が大事やから、家庭を守るためには、自分一人で仕事を抱え込んでいたらいけないんです。
光畑: 子連れ出勤で困ることって、意外とたかがしれていまして、発送した荷物の中におもちゃが入っていましたとかね。お隣さんの花の苗を抜いちゃったとか、かわいらしいエピソードくらいしかないんです。ただ人の入れ替わりは多いですし、インフルエンザの季節はけっこう大変で、休む人が多いので、情報を常に共有して誰でも代わりに作業ができるようにしています。
そうやってどんなことが起こっても仕事ができるようにしていたので、震災の時にはありがたかったです。東日本大震災の時、電気は来ていたのですが、ガソリンも不足しているし、スタッフには無理して出社しなくていいよと言うことができました。ところが結果として、全員来たんです。子供と離れて仕事に行くのは心配だけど、連れて来ていいなら会社で皆でいた方が安心じゃないですかと言われました。人によっては親まで連れてきて仕事してましたね。
スタッフ以外でも、ユーザーさんですごく熱心な方がいて、札幌に引っ越すことになった時にモーハウスと離れるのは寂しいと言ってくれて、じゃあ札幌でモーハウスの授乳服を使って何かやったらどう?と声をかけました。結果としてそれが彼女の起業の第一歩になったんです。そういうスモールステップも用意することができるし、選択肢をたくさん用意することはいつも心がけています。
秋山: うちが今課題だなと思っているのは、どこでも仕事ができた結果、実は京都のスタッフと、鳥取のスタッフがまだ一度も会ったことがないという状況になっていまして。画面上で顔は合わせてるんですけど、どうしても組織内のコミュニケーションが限られてしまうので、どうしたらいいかなぁと思っています。前に、お菓子とお茶をそれぞれ用意して、画面をつないでお茶会をしてくれとお願いをしたんですけど、全然浸透しなくてですね。離れている中でどうコミュニケーションを取って行くかというのは試行錯誤しています。
ただ、風通しはすごく良くて、うちの設計事務所では皆よく休みます。土日祝以外でも、皆ちょこちょこ休んでます。代表者が休んでおかないと皆が休みづらいと思いますので、僕自身が早く家に帰って、家族の夕飯を作ってたりします。出張でいない時以外は夕飯も朝食も作って、家事のほとんどを僕がやるということを実践しています。
意見の中身よりも、まずは意見を出したこと自体を評価するようにしています。
阪本: 色々と改革を進める中で、従業員に自分事として実践してもらうための仕掛けについて教えてください。
山内: タイムカードの横に設置した、誰でも意見を入れられる目安箱ですね。これがかなり活きてまして、まだ投稿する人は限られているんですけどね。あれは同業者からヒントを得て取り入れたんですけど、そこの会社は色々な賞もあって、社長賞はなんと100万円。一通入れるだけで400円が賞与に反映されると聞きました。うちの規模ではそこまではできなかったのですが、やっぱりお金で返してあげるのが一番わかりやすいなと思って、賞与査定欄に「業務改善に取り組んでいる」という項目を作りました。それでもやれやれと言うだけではなかなか行動には結びつかないので、会議のたびに全員で改善メモを書く時間を設けるとか、一緒にやろうという土台づくりは意識して行っています。
他には、入社3年未満の従業員と70代の主任一人、合計4、5名でミーティングをしています。20代前半から10代もいるんですけど、けっこうおもしろい意見を持っていて、業界にどっぷりつかっている私たちでは気付かないところを「あれっておかしくないですか?」と言ってくれるんです。そういった場では、どんな意見でも「なるほどね」とまず頷くようにしています。もっと意見を言っていいんだという雰囲気を作っていきたいので、とにかく聞きます。意見を出したこと自体を評価してあげることが、我々の仕事かなと思います。
阪本: そういった取組を通して、社内の雰囲気は実際に変わってきましたか?
山内: 若い従業員が動くとキャリアのある人も動いてくれるようになってきました。全員が変わるのは難しいとは思うんですけど、組織を変えるには2割が動けばなんとかなるという言葉を聞いたことがあるので、動いてくれる人でやっていこうと思っています。
二九: うちの会社はちょっと変わってまして、普通の会社は60歳で定年、65歳まで再雇用ですけど、「死ぬまで再雇用」と言っています。本人の希望があれば何歳まででも。死んだらややこしいから出て来たらあかんでって言うてますけどね。家にずっといるくらいやったら、今までやってきた仕事を死ぬまでやったらどう?と。特殊な技術は継承にも時間がかかるし、そういう意味でも続けてくれるとありがたいですね。75歳で来てる人もいますよ。その人はモチベーションが高くて、3D CAD(立体的な設計をするときに使うソフトウェア)を自分で勉強して後輩に教えはるんですわ。仕事が楽しくてしゃーないんです。20代の若い社員にも同じ目線に立って教えるので、それだけ年齢差があっても皆から慕われてますね。
阪本: 家庭が第一、そして仕事もやれるところまでやる、ということですね。
二九: そう。家庭は第一です。僕も、ほとんど毎日奥さんと一緒に食事をします。家でごはんを食べなあかん。そのために早く仕事を片付けて、さっさと帰ってくださいという話はいつもしています。
写真・文 : 柴田 明 (SILK)