【個別相談】「森の案内人」 / 三浦 豊さん
【SILKの個別相談支援 事業者インタビュー】 個別相談を通じてどのように事業や経営を「深化」させていったのか、事業者さまご自身の言葉で語って頂くシリーズです。
http://www.niwatomori.com/ 森の案内人
秋葉: 長い個別相談期間が終わってから数か月、まず、今の事業内容を簡単にご紹介ください。
三浦さん: 大きく5つ。まず、街中から森林まで「木が生えている」という条件で日本中で案内・ガイドしています。2つ目は「森のお話し会」、3つ目はWebサービスの「forest forest」、4つ目は執筆活動、5つ目は林業家との「森の仲間サロン」運営。
秋葉: そもそも、森の案内を仕事にしようと思ったきっかけは何だったのでしょう?
三浦さん: 5年間、独りで日本の森を自分の足で歩いて感じて、素晴らしさに大きく感動したことです。日本はどこに行っても木が生えていて木が森になり森が美しくなるということを「発見」しました。森は、聖地のような風格と品格を備えていくすごい営みなんです。その生きている様を祝福することができないか、その様を伝えていきたい。しっかり伝えるには表現が大事で、しっかりやるには労力が必要で、自分の時間と労力を存分につぎ込みたくて、だからこそ「仕事」としてしようと思いました。それが原点です。2010年に始めました。
■森の案内を仕事にする、ということ
秋葉: なるほど。三浦さんにとって、しっかりやることそれが仕事だ、ということだったのですね。とはいえ、そこに強い自信がおありだったわけではなかったのですよね。SILKでの個別相談の初回(2016年1月)、たくさんお話し頂いて三浦さんは大感動してくださった。どうしてあんなに喜んでくれたのでしょうか。
三浦さん: あんなに自分がしたいことをまとまって全部聞いてもらったことが本当になかったんです。何度も家族や友人に話してはいるんだけれど、あそこまで“聴く”ことに徹底して僕のことを聞いてもらえることがなかった。あの日は全部吐き出した、くらいの勢いです。親身になって話を聞いてもらうことがこんなにありがたいことなんだと初めて痛感した。本当にうれしかった。全身で深呼吸させてもらった気分。ありがたかった。
僕の中で、好きなことを仕事にするのはできるのだろうか、とずっと不安に思っていたんです。そういうことができる、と教えてもらってこなかったから。「好きなことは趣味、生きていくことや仕事はもっと大変」という教育を受けてきたからそういう世界観しかない。それなのに僕は森や木のことが好きになってしまって仕事としてしよう!とやってしまい、やり始めたものの経営的にはとても厳しい状況で、できるんだろうかと不安になり、なにかいけないこと悪いことをしているような罪悪感があって、自分自身も疑心暗鬼。
白状すると、SILKの支援を受けるのを辞めようかとさえ思っていた。でもあの日、勇気を振り絞って来てみたら「よくいらっしゃいましたね」とにこにこと言ってもらえたのが、ものすごくうれしかった。来たことがいいんだ、こんな僕でもいいんだと。僕はずっと向かい風ばかりを感じてきたので、これでもいいんだと。ああ、勇気を出して来てよかったと思いました。
僕は、仕事というのは、ちゃんと背広着て平日働いてローン組んで、というものだと思い込んでいた。なのに、僕は平日からカメラ持って森を歩いていて、これでいいんだろうか。働く姿が他の人と違うのがいけないようなうしろめたさ。もう今はほとんどなくなりました(笑)。「これでいいのだ」と初めに言ってもらえたのがとてもうれしいし大きいしありがたい。泣けるくらいにありがたい。これでいいんだと思えたことが、相談期間で一番大きく変わったことです。これでいいんやって、それは、自信とはちょっと違う。胸張っていいんや、という気持ち。
今、働き方は劇的に変わっていっていると感じています。それは、森が好きな人が増える以上に僕はうれしい。今回の相談で、働くってすごいことやと痛切に感じた。働き方が変わると、自ずからいろんな課題も克服されていくんです。高いところに水を落とすことに似ています。僕は、「働く」ことをどこかで自分と切り離して考えていたから数字も結果も出ていなかった。相談を通じて、森のこと、社会のこと全部が僕の中でリンクし始めた。すごく見えてきた感じです。
秋葉: 相談期間の前後で表情が変わりましたものね。でも、実は収益をあげていくポイントを決めていくのも結構大変でしたよね。毎回宿題が出て次のセッション(相談日)に向けて準備して、次のセッションをしてまた宿題が出て、を繰り返しました。大変だったと思います。
三浦さん: 個別相談でしんどかったのは、収益を考えるのもしんどかったけど、人の立場にたって考えるという訓練ができてなかったことです。そして、客観的に見ること、事業に数字はとても大事で、そこが自分に足りてなかったとみぞおちにズンときました。
強み出しをやっていた時、僕が十数個出したところで、まだまだ出せるでしょう!まだあるでしょう!と言ってもらえたのがとてもありがたかった。
秋葉: 結局、56個あがりましたね。「言葉の魔術師」とか。三浦さんは表現力豊かで独特の感性があります。大学の専攻は建築ですがどこで磨かれたのでしょう?
三浦さん: 5年間の独り日本旅が大きいです。最初の半年は気が狂いそうだったけど、木も生きているんだ、水飲めるのも空気を吸えるのもこいつらのお陰やなと親近感を持ってから、言語で会話はできないけど生きてるんだと畏敬の念を感じることができて、独りじゃないと思えた時期。これが大きかったです。
秋葉: 嫌なのに半年で帰らなかったのはなぜ?
三浦さん: 嫌になったからやめる、そんなもんじゃないだろうという意地でしょうか。家を出る時、明らかに人生のレールから外れた感があったし、出立の時、玄関で親と号泣して別れた。お世話になった人に森から手紙書いた。なのに、何も得ていないのに半年ごときで帰るなんてかっこ悪い、自分への意地。帰ったら確実に引きこもりになると思えて自分への危機感です。僕の年齢なら、みんな「ちゃんと」働いている。やめなかった理由は、歩き始めた時ダメ人間代表のようなうしろめたさがすごくあったから。
僕には森に行く必然性がありました。「建築」で勉強して心地よい空間とは何か、と考えてそこから「庭」に行き、庭とは何か、庭は自然と人が協力して作ったものだ、でも自分は自然を知らない、自然を知りたい、ならば自然豊かなところに行こうと。だから自分にとって森に行ったのは必然です。腑落ちするまで帰れない。腑落ちしないのは自分に問題があるから、自分が耐えて克服しないといけないと思ったから、帰らなかったです。「ココロの筋トレ」でした。
気が狂いそうな半年間、出てきたのは、いじめられたこと、嫌なことをされたこと。森の中で、誰一人とも会わないのに、僕は他人とのエネルギーの奪い合いをしていたんです。半年間、僕は目の前の木を結局見てなかった。ずっと自分の内面との葛藤をしていたんです。半年過ぎたころから、ちゃんと木を見れるようになった。
秋葉: 5年たって戻ろうと思ったのは?
三浦さん: 実はすがすがしい気持ちで戻ろうと思えたわけではないんです。自然をなめていたことがわかった。気候も、場所も、自分の心のありかたも、それによって森は毎回違う。森はつかめ得ないものなんだということをつかめた。今でも、森のこと、木のこと、知っていると言いにくいです。知れば知るほど、知っていると言えなくなる。みっともないけれど、5年で終わったのは、「ずれ」が大きくなってそれがしんどくなったから。毎日食事がコンビニ弁当でしたから、土から食べたい、得たいという強い衝動を感じました。ちゃんと「場に生きたい」と思ったのです。
■SILKはエンジェル
秋葉: なるほど。ガイドにその経験が活きていますね。ガイドにはまるごとの三浦さんが出てくるし、ガイディングも常に進化形ですね。そんな三浦さんにとって、SILKの支援機能は、どのようなものでしたか?
三浦さん: エンジェルです!愛がいっぱい、愛にあふれている。僕のこと、ちゃんと聞いてくれる。ハグしたいくらい感謝しています。
これからの事業者さんに勧める時には、本人が本気になっている人、と言いたいです。相談中、生半可な気持ちでは成立しないと思いました。「これで食っていくんでしょ?!」と何度も聞かれた。あれは強烈でした。でも、思ってた以上にすんなり「はい」って言っていた自分にも驚いた。
もうひとつは、僕から引き出してくれたこと! 明らかに答えをわかっていらっしゃるのに教えるスタンスではなくてあくまでも「聴く」。お前の中から出せよ、と言葉を引き出して頂けたのが本当にありがたかった。僕の言葉を待ってくれた。プロとして徹して聞くことのすごさを感じた。プロフェッショナル。僕にとってエンジェルです。
■ビル庭の小さな苗木をみるまなざし
秋葉: インタビューしているASTEMの中庭、少し語って頂けますか。
三浦さん: これは、モミジの赤ちゃん。これはあちらの大きなモミジから飛んできた種から芽吹いたもの。これなんか出たて!まだ三日目くらい。こっちは本葉が出てて4月生まれ。モミジは種に羽がついているから飛んできてここで芽吹いたんですね。お友達増えた!感じ。こっちは芽吹いて7~8年、一度ばっさり切られてまた伸びだしてきた、したたかなヤツです。これ、若葉が赤いのは、赤ちゃんと同じでお肌弱いから。木は、木の個性と生えてる環境によって違うんですよ。用心深いヤツもいれば、行ってしまえとワーッといくヤツもいる。。。
今は、知識はネットで調べられる。お客さんでもスマホで目の前でググる人も増えました。だから、自分のガイドで共有しえるものは何か、毎回とても考えます。
■メディアから書籍まで
秋葉: メディアで取り上げられることが増えてきました。
三浦さん: メディアに自分から売り込んだわけではないのです。案内人始めてから、人づての数珠繋ぎで、ディレクターさんのアンテナにひっかかりテレビにいくつか出たのが第一の波で、2016年のソトコト掲載から今回の書籍(ミシマ社発行)に続くのが第二の波。いつも、周りの人々が繋げてくれています。
東京・自由丘のミシマ社が東日本大震災を機に京都にオフィスを設け、共通の友人の紹介で出会いました。2年間毎月のwebマガジン連載をしました。珍しがっていろいろ声かけてもらっていて、有り難いことです。約2年分の連載テキストからリライトしてこの2017年3月に完成したのが、初めての本、コーヒーと一冊シリーズ「木のみかた 街を歩こう、森を歩こう」。
ミシマ社の方々とこれを作っていく過程でも、たくさん学びました。お世話になった人たちに読んでもらいたいととても思っています。そしてこの本をきかっけに、みどりの日トークイベントで話したり、『群像』(講談社、2017年7月号)に原稿書いたりと、広がっています。
■セッションを通じて得た事
秋葉: 個別相談は毎回がひとつのセッション、そこで得たことはどんなことでしたか。
三浦さん: 一つは、整理整頓してもらった。ごみ屋敷に来ていただいて収納も考えたうえで整理整頓して頂いた。収納とは、優先順位、そして他人は?社会は?という視点をくれた。もう一つは、生きていることの肯定感を共有したいという事業理念を引き出してもらった。理念について宿題をもらって、僕の最初の言葉は「きらきらした」。気恥ずかしい表現だったけど、どう考えてもこの表現しか浮かばなかった。笑われるだろうと思って伝えたら、笑わなかったでしょう、ありがたいなと思った。笑うどころか、秋葉さんに、これは重要だ、これはあなたにとって基準になる、とはっきり肯定してもらえたことがとても大きかったです。結局、これが僕にとっての仕事の基準、ものさしになった。それを見つけて与えてくれたこと。今、本当にたくさんの仕事の依頼を受けるようになってきたけれど、これが毎日毎日、ものさしになっています。森の仲間サロン以外にも、最近は森の価値を変えていくような大プロジェクトへの関わりをびっくりするような方からお声がけを頂くことも増えてきています。僕がクリアになったことが大きいのかなと思っています。
■未来の夢
秋葉: 森の案内人の事業を通じて、描きたい未来はどんな姿ですか?
三浦さん: 日本的な“自然(じねん)感”をもう一度取り戻したいと思っています。感じている危惧は、木や森の言葉が弱っていること。“自然と共生”“癒し”があふれていて、鮮やかな感動、ワクワク感がすり減っている感じがしています。道徳の授業聞いているみたいな正しさはスルーされてしまう。お腹の底から共有してもらえるスキル、興味ない人にも踏み込んでいけるスキルを磨いて、踏み込んで伝えていきたいんです。正しさだけで勝負しようとすると負けてしまう。だから、言葉の持つ力の爽快感を使いたい。
それから、“私達”と言うときに、木や森も入れてほしいと思っているんです。木や森は多くのことを人に与えてくれる。そういう世界観をみんなで共有していきたい。森は与えてくれる、もらったら人から奪わなくてすむ。人から奪わなくてよくなるからきっと平和になるでしょう!?
秋葉: 社会の中で存在感をもっと発揮して、事業が盛んになればなるほど幸せな人が増えて社会が平和になっていく、そんな未来ですね。では、最後に、森の案内人、20年後に向けて。
三浦さん: 20年後、「場」に関わっていたいです。場に糸口がある。だから勝負せなあかんと思っています。今は、珍しい「森の案内人」で買ってもらっているし、こんな働き方への興味も追い風です。でもその先へ。プロフェッショナルになりたい。
森がたくさんある日本、当たり前で気がついていないけど、すごいことなんです。森からは、愛が循環する。使わせてもらってありがとう、と。
でもこれを「良いこと言っているね、はいはい」と聞き流されると、本質からどんどんずれていく。本質に、もう一歩踏み込む。それには、相談で指導されたように、人の目線に立ってどうかということ、数字として持続可能になっていくこと。
木は生きているのにぶれていない。生きていることにぶれてない。僕もぶれない。
事業は順調です。立ちこぎだけど、食えている感じがある。やれるという自信、あります。
インタビュー:2017年4月25日
Photo:山中はるな、Text:秋葉芳江